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椎名林檎が「国民全員が組織委員会、全企業が五輪に取り組め」…日本を覆う“五輪のために滅私奉公”の空気

五輪のためならなんでも通る日本よりブラジルの方がはるかに真っ当

 しかし、「五輪のため」といえば、なんでも通ってしまうのが、いまの日本だ。オリンピックに批判的なことを言えば、「水を差すな」「非国民」と罵られ、「五輪のため」なら人権も人命も犠牲になって当たり前という事態が、冗談でなく起きているのだ。これって、「お国のために」と命も差し出し戦争に突き進んでいった戦前と何がちがうのだろうか。

 昨年リオ五輪が開かれたブラジルでは、開会式当日にも数千人規模の反対デモが行われていたし、開会式での大統領代行による開会宣言にはブーイングが浴びせられた。そのまえ2012年のロンドン五輪でもやはり、開催直前の7月にも数百人規模の五輪反対デモがおこなわれている。五輪のために医療や教育などの市民生活が犠牲になっていることに対する反対を多くの人間が表明していた。

 日本のメディアは、リオ五輪前に準備が間に合っていないことや反対デモが起きていることを半ばバカにするように上から目線で批判的に報じていたが、異常なのは明らかに日本のほうだ。どちらが成熟した民主主義の姿かといえば、たとえ開催が決まってもすでに開催していても反対を表明することができるブラジルやイギリスのほうだろう。

「オリンピックのために一丸になれ」などというスローガンのもと、たかだか2週間ほどのスポーツイベントに国の威信をかけ、個人の生活も命も人権も何もかも犠牲にするような国などいまどき、日本か中国くらいのものだろう。

 いま日本のやっていることは、北朝鮮や戦前の日本のようなことなのだ。実際、「オリンピックのために一丸になれ」という全体主義的・国家主義的価値観は、「日本の危機のために一丸になれ」「テロとの戦いのために一丸になれ」に安易に転用されるだろう。オリンピックくらいと思う人もいるかもしれないが、オリンピック程度に文句が言えなくて、テロとの戦いを批判することなできるはずがない。「国民全員が組織委員会」などと言い出す椎名林檎は、こうした国家主義的空気を無批判に助長するもので、明らかに常軌を逸している。

 しかしこの異様な“オリンピック圧力”のなか、意外な人物が椎名と対照的にオリンピック優先主義に異議をとなえている。その人物とは、オリンピックに何度も出場してメダルも獲得したこともあるアスリート、有森裕子だ。有森のオリンピック批判については、あらためてお伝えしたい。

最終更新:2017.08.02 12:08

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