石川啄木は大逆事件を公権力の暴走によるものと見抜いた
啄木は同時期に「所謂今度の事」というエッセイを書いているが、報道統制下にあり、大逆事件によるでっちあげの全容がわからないなかでも、彼は警察のやり口に問題があることを鋭敏に感じ取り、このように書いている。
〈然しながら、警察の成功は遂に警察の成功で有る。そして決してそれ以上では無い。日本の政府が其隷属する所の警察機関のあらゆる可能力を利用して、過去数年の間、彼等を監視し、拘束し、啻に其主義の宣伝乃至実行を防遏したのみでなく、時には其生活の方法にまで冷酷なる制限と迫害とを加へたに拘はらず、彼等の一人と雖も其主義を捨てた者は無かつた。主義を捨てなかつた許りでなく、却つて其覚悟を堅めて、遂に今度の様な兇暴なる計画を企て、それを半ばまで遂行するに至つた。今度の事件は、一面警察の成功で有ると共に、又一面、警察乃至法律といふ様なものゝ力は、如何に人間の思想的行為に対つて無能なもので有るかを語つているでは無いか。政府並に世の識者の先づ第一に考へねばならぬ問題は、蓋し此処に有るであらう。〉
そこから彼は、大逆事件で弁護を担当していた平出修を通して、この事件がでっちあげなのではないかという疑義を確信へと深めていく。そして、幸徳が弁護士に宛てた意見書に、啄木が前書きなどを足した「A LETTER FROM PRISON」を執筆。そこで彼はこの裁判こそが無法であると徹底的に批判する。
〈さうして幸徳及び他の被告(有期刑に処せられた新田融、新村善兵衛の二人及び奥宮健之を除く)の罪案は、ただこの陳弁書の後ろの章に明白に書いてあるとおり、東京の一時占領を計画したというだけの事で、しかも単に話し合っただけ、一意思の発動にとどまって、未だ予備行為に入っていないから、厳正の裁判では無論無罪になる性質のものであったに拘らず、政府及びその命を受けたる裁判官は、極力以上相聯絡なき三箇の罪案を打って一丸となし、以って国内における無政府主義を一挙に撲滅する機会を作らんと努力し、しかして遂に無法にもそれに成功したのである〉