『啄木詩集』(岩波書店)
共謀罪法案が参院で審議入りしている。しかし、表現や思想の自由を著しく侵害するおそれや、公権力による恣意的解釈が横行するのではないかといった法案の危険性はいまだに払拭されぬまま。与党は今国会の会期内に成立させたいとしているが、こんな状態のまま法案を通してしまうことは、即ち「民主主義の死」とも言えるだろう。
しかし、安倍晋三応援団たるネトウヨは「警察による“恣意的な解釈”だの“権限の拡大”なんていうのはテロ予備軍の妄言」としているが、それが言いがかりなどでは決してないことは、日本史の教科書のページを開けばすぐにわかることである。
公権力はちょっとしたきっかけでいとも容易く暴走する。その端的な例のひとつが、1910年に起きた大逆事件(幸徳事件)だろう。
これは、明治天皇暗殺計画を企てたとして幸徳秋水ら大勢の無政府主義者や社会主義者らがいっせいに検挙され、幸徳を含む12名が死刑に処された事件。しかし、実際に暗殺計画に関わったのはそのうち数名でしかなく、これは権力に楯突く思想家たちを根絶やしにするためのでっちあげ事件だとされている。
この事件に対して尋常ならざる執着をもち、公権力の暴走を批判し続けたのが、石川啄木である。
周知の通り、彼は1912年に肺結核により26歳の若さでこの世を去っているが、死の前年には「ココアのひと匙」という詩を書き、幸徳らの運命に共感の念を送った。
〈われは知る、テロリストの
かなしき心を──
言葉とおこなひとを分かちがたき
ただひとつの心を、
奪はれたる言葉のかはりに
おこなひをもて語らむとする心を、
われとわがからだを適に擲げつくる心を──
しかして、そは真面目にして熱心なる人の常に有つかなしみなり。
はてしなき議論の後の
冷めたるココアのひと匙を啜りて、
そのうすにがき舌触りに、
われは知る、テロリストの
かなしき、かなしき心を。〉
啄木は大逆事件と出会ったとき、東京朝日新聞に勤めていた。1910年6月2日、啄木は物々しい報道管制と同時にこの事件のことを知る。そのときのことをこのように記録している。
〈東京各新聞社、東京地方裁判所検事局より本件の犯罪に関する一切の事の記事差止命令を受く。各新聞社皆この命令によつて初めて本件の発生を知れり。命令はやがて全国の新聞社に通達せられたり〉(「日本無政府主義者陰謀事件経過及び付帯現象」)