なんでも自己責任論で済ませるなら国なんていらない
これは教育理論的にもとんでもない間違いで、浅はかな大人たちがこうして「やり返すことこそが強さ」とか「やり返せないのは弱い子」と教えていることこそが、いじめの連鎖を生んできた。元・文部科学省いじめ問題アドバイザーである小森美登里は『いじめのない教室をつくろう 600校の先生と23万人の子どもが教えてくれた解決策』(WAVE出版)でこのように説明している。
〈「やり返してもいい」と教わった子どもがやり返し、やられた子どももやはり大人から「やり返してもいい」と教わっているので更にやり返します。いじめは連鎖して問題は大きくなり、深刻化していきます。その間、子どもの傷は深くなり、問題解決をも困難にしていきます。
また「思い切りやり返せばよい」ということでは、解決できません。やられた子どもの心には、大きな傷が残ります。その傷や悔しさ、悲しさ、怒りは、心に争いの種を残し、その種はいつか誰かに向けて爆発してしまうかもしれません。やり返すことで一体何を生み出しているかを、もう一度認識しなければならないのです〉
しかし、曽野の「自己責任論」はこんなものでは終わらない。そのエッセイはこんな言葉で閉じられているのである。
〈自殺した被害者は、同級生たちに暗い記憶を残したという点で、彼自身がいじめる側にも立ってしまったのである〉
極北まで行った「自己責任」論はここまで非情な言葉を生むのである。
しかしこうした「自己責任論」にとらわれているのは曽野や本田だけではない。今回の本田の発言には、米津のように疑問を投げかける人がいる一方、本田の発言に対して「さすが本田!」「本田の言ってることは正論」などと賛同する声も決して少なくない。
追い込まれて自死を選んだ者たちは本当に利己的で自分勝手な人たちなのか? 死者にむち打つ行為に走る彼らは、自分がその立場に立ったときのことを少しでも想像してみたことがあるだろうか? 弱く、虐げられた人々を見捨てるだけの国なら、そんな国の存在価値はどこにあるのだろう? 溢れ出す「自己責任」論には、ひとつずつ疑義を呈する必要がある。
(編集部)
最終更新:2017.12.04 03:41