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マスコミが触れない村上春樹『騎士団長殺し』の核心部分(後編)

村上春樹自身が「歴史修正主義と闘う」と宣言していたのに…マスコミはなぜ『騎士団長殺し』の核心にふれないのか

アンデルセン賞で語ったスピーチと『騎士団長殺し』のリンク

〈影と向き合わなければならないのは、ひとりひとりの個人だけではありません。社会や国家もまた、影と向き合わなければなりません。すべての人に影があるのと同じように、すべての社会や国家にもまた、影があります。明るく輝く面があれば、そのぶん暗い面も絶対に存在します。ポジティブな部分があれば、その裏側には必ずネガティブな部分があるでしょう。
 ときに、私たちはその影やネガティブな部分から目を背けがちです。あるいはこうした面を無理やり排除しようとします。なぜなら人は、自らのダークサイドやネガティブな性質を、できるだけ見ないようにしたいものだからです。しかし彫像が確固たる立体のものとして見えるためには、影がなくてはなりません。影がなければ、ただの薄っぺらい幻想にしかなりません。影を生み出さない光は、本物の光ではありません。
 どんなに高い壁を築いて侵入者が入ってこないようにしても、どんなに厳しく異端を排除しようとしても、どんなに自分の都合にいいように歴史を書き換えようとしても、そういうことをしていたら結局は私たち自身を傷つけ、滅ぼすことになります。影とともに生きることを辛抱強く学ばなければいけません。自分の内に棲む闇を注意深く観察しなくてはなりません。ときには暗いトンネルのなかで、自らのダークサイドと向き合わなければなりません。もしそうしなければ、やがて、あなたの影はもっと大きく強くなり、ある夜、あなたの家のドアをノックするでしょう。「帰ってきたよ」とささやきながら。
 傑出した物語は多くのことを教えてくれます。時代や文化を超えて学ぶべきことを。〉(同)

 具体的に名指しはしていないものの、この春樹のスピーチは、排外主義を標榜するドナルド・トランプ大統領(当時は候補)の登場、歴史修正主義を貫く安倍晋三首相、そして彼らを支持する人々をあきらかに意識したものだった。

 同時に、その言葉はそのあとに発表することになる『騎士団長殺し』の内容とあきらかにリンクしていた。

 たとえば〈彫像が確固たる立体のものとして見えるためには、影がなくてはなりません。影がなければ、ただの薄っぺらい幻想にしかなりません〉というのは、『騎士団長殺し』の主人公である肖像画家の〈私〉が物語のなかで獲得した、それまでの肖像画の描き方とはちがう新しい絵の描き方に通じるものだし、〈暗いトンネルのなかで、自らのダークサイドと向き合〉う場面も、物語後半に登場する。つまり、春樹はこのときすでにほぼ書き上げていたであろう次回作で歴史修正主義と対決する姿勢を示唆していたのだ。

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