もちろんこれは何の根拠もない憶測、デマだ。確かに3日早朝の「スポニチアネックス」の記事が「田中側は奥さんが浮気していたとの認識を持っており、それで別れ話になった」との関係者匿名コメントを紹介しているが、しかし「実際に浮気があったかどうかは分からない」とエクスキューズされた、つまり何ら裏づけのないものだった。しかし、こうした“小日向浮気説”はあっという間に広がり、3日放送の情報番組『バイキング』(フジテレビ)に出演した和田アキ子までも「離婚で男が親権をもつってなかなか」「子どもがお父さんがいいって、子どもが選択肢もっている場合もあるからね」と小日向が親権を手放したことを批判、さらに「奥様のほうに何かご発展があったりしたら言えないよね」と浮気を匂わせる発言すらしている。
もちろんこうした根拠なきバッシングの背景にあるのは小日向が“親権を手放した”ことが一番の要因になっているのは間違いないだろう。
だが、母親が親権を手放すことはそんなに批判され、悪者扱いされることなのだろうか。そもそも親権とは両親の権利ではなく、「子どものため」の権利だ。子ども自身の希望だけでなく、その生活や将来にとってどちらが有益かということも考慮されるもので、田中・小日向夫妻が子どもたちの意思とその将来を考えて決断したことなのだから、外野があれこれ非難するような問題ではない。
しかも今回の報道でもスルーされているが、親権と養育(監護)権は別ものだ。日本の法律では両親が離婚した場合、共同して親権を行使することはできないため、止むを得ず親権をどちらかに決めなくてはならない。そのため様々な事情により親権と養育権を父母に分けて、父親が親権をもち財産管理などを行い、一方、母親が子どもを引き取って養育する例は、いまでは決して珍しいことではない。
実際、芸能界でも2002年に離婚した安室奈美恵は息子の親権を夫だったSAMに渡すかたちで離婚、養育権は安室がもち、同じマンションの別室に住み、時には協力しながら育児をしたことで知られる(2005年には親権も安室に移行)。また2006年に離婚した麻木久仁子も、ひとり娘の親権は父親で作曲家の松本晃彦がもち、養育は麻木が担っている。
今回の離婚に際し、田中サイドは「2人の息子たちの親権はいずれも田中が持つ」が、その他は非公開として会見を開く予定もないという。つまり、親権は父親である田中にあるが、養育権をどちらがもつかは公表されてもいないのだ。