ブルセラブームと海外での事件がブルマー強制を止めるきっかけに
中体連および中体振、制服メーカー、それぞれの思惑が絡まって密着型ブルマーは学校現場へ進出。そして、いったん道が切り開かれた後は他の制服メーカーも参入し、密着型ブルマーは一気に全国の学校へ広がっていった。
では、それから30年近くの時が経ち、なぜブルマーは急速に学校から姿を消していったのか? その裏には、ブルセラの隆盛を端緒とし、密着型ブルマーに対して注がれる性的な視点が問題視されだしたというのがある。
その端的な例として山本氏が指摘しているのが、1993年11月22日付朝日新聞が、シンガポール日本人学校中等部でのブルマー統一問題を取り上げたことである。そのシンガポール日本人学校では、これまでは体育の時間の服装は生徒の自由であったところを、新任の保健体育教師が「動きやすい」というのを理由に日本の中学で使われているブルマーへの統一を提案。それをきっかけに学校ではブルマーへの統一が進んだ。しかし、よりいっそうその動きを強めるためブルマー以外の着用を規則違反としたところ、「太ももの上部まで見え、校外マラソンの際、通行人にじっと見られる」といった声が出て反発が起きた、というのがこの問題の概要だ。
これを朝日新聞が報じると、ブルマー着用を強制する学校側の姿勢に対して批判的な投書が寄せられ、また、他の新聞もブルマーをめぐる問題を取り上げるようになる。こうして、学校側もようやくブルマーに注がれる性的な眼差しや女子生徒の嫌悪感を認識。日本各地でブルマー廃止の動きが盛んになり、ハーフパンツやジャージへの移行が始まっていくのであった。
密着型ブルマーに対する異論は1990年代以前にもあったはずだ。しかし、生徒からそのような反発が起きるたびに学校側は「ケガ防止のため」、「そういう決まりだから」などといったもっともらしい理由で、そういった声をおさえこんできた。
教育勅語の強制暗唱、道徳の教科書の「パン屋」を「和菓子屋」に書き換えさせる──こういった事例は極端にしても、頭に「?」マークが浮かぶような指導は現在の教育現場にもはびこり、「前例踏襲主義」のもと生徒たちに押つけられている。しかし、その源流をよくよく見てみたら、この密着型ブルマーのようにとんでもなくキナ臭い理由だったなんてことは往々にしてあるだろう。納得のできない指導方針には「裏」がある可能性がある。そのことを密着型ブルマーのケースは教えてくれるのであった。
(新田 樹)
最終更新:2017.04.25 05:59