●愛川欽也が語っていた反戦への思い、憲法を守るという決意
最期まで仕事復帰するつもりだった──。今月15日に死去した愛川欽也の最期の姿を、妻のうつみ宮土理が発表した。うつみによれば、愛川は仕事に戻ることに意欲を見せ、肺がんであることを公表しないでほしいと述べていたという。このうつみのメッセージに対しては、「愛川さんの仕事へのプライドには頭が下がる」「生涯現役を貫かれたのですね」など、仕事と真摯に向かい合った愛川の姿勢を称えるコメントがネット上に溢れた。
俳優として、司会者として、映画監督として。さまざまな顔をもった愛川であったが、もうひとつ忘れてはいけないのが、彼の“平和主義者”としての側面だ。
たとえば、愛川は東京都墨田区が主催する「平和メッセージ展」に21年間も出品。今年3月にも「反戦は 憲法を守ることです」という言葉を届けていた。この言葉からもわかるように、愛川は積極的に憲法改正に反対を唱えてきた。
「憲法を素直に読んでごらんなさいよ。これ、誰がこさえたか、最初が英文だったとか、そんなことはどうでもいいんだ。立派なもんだよ。「戦争放棄」、つまり武力でもってよその国と争うことはしないなんて言っちゃう憲法なんてね、ちょっと嬉しくない?」
「なんでも1番じゃなきゃいけないっていうのはもういいやと。オレ、日本は8番ぐらいでいいんじゃねえかと。
でもさ、別の基準があって、「平和国家」と言えることは、すごく名誉なことだと思うんだけど、このごろの人たちは、あまり名誉だと思っていないみたいだな。
たとえば、近隣諸国に馬鹿にされない、舐められないということが、国を守ること、愛することに、確かに通じちゃうんだね。ほんとうは、我々は戦争をしない国なんだ、ということでほかの国から尊敬されれば、それが国を愛することだと、ぼくは思うんですよ」(カタログハウス「通販生活」Webサイト掲載/2012年8月21日)
本サイトでも昨日お伝えしたが、愛川の平和を願う気持ちには、自身が経験した戦争体験が根底にある。愛川は戦争を通じて得た思想をテレビ番組内でも打ち出していた。その最たるものが、1998年から司会をつづけてきた番組『愛川欽也 パックインジャーナル』である。