国家機密の事前漏洩どころか、サミット自体も安倍夫妻が私物化していた──。そもそも、サミット開催地に最後に名乗りをあげた伊勢志摩の決定は、大逆転の決定だった。当時サミット開催地をめぐっては仙台、新潟、長野・軽井沢、浜松、名古屋、三重・伊勢志摩、神戸、広島の8カ所が立候補し激しい誘致合戦が繰り広げられ、メディアも各社がギリギリまでスクープを争っていた。当初は神戸、軽井沢が有力視されていたが、伊勢志摩の立候補あたりから混沌としてくる。当時本サイトでも、候補地争いについて記事にしているが、発表直前の6月1日の時点でまだ「広島か、伊勢志摩か」と絞りきれていなかったのである。
しかも、昭恵夫人が熱望していた「伊勢神宮参拝」というのは本来、サミットとはまったくそぐわないどころか、物議をかもすことは必至だった。なぜなら、伊勢神宮は、戦前・戦中日本を支配し、祭政一致の国家主義、軍国主義に突き進ませた「国家神道」の象徴だからだ。実際、海外メディアからは伊勢神宮参拝について厳しい批判が出た。たとえば、英紙「エコノミスト」(電子版)はサミットでの伊勢神宮参拝が〈戦前日本の政治家が侵略帝国主義を推し進めるために偽装した神道に対し、G7が国際的信用のお墨付きを与えることになる〉と危惧していた。
しかし、昭恵夫人は夫に「サミット、三重がいいんじゃない」とささやき続け、結局、サミット開催会場は伊勢志摩に逆転決定。昭恵夫人が熱望していた伊勢神宮参拝も実現し、当日、昭恵夫人は得意げに首脳夫人たちをエスコートしていた。
もちろん、サミットの伊勢志摩開催は、安倍首相の改憲運動のパートナーである日本会議や神社本庁へのプレゼントの意味合いも大きかっただろうが、昭恵夫人の「ささやき」が大きな役割を果たしたことは、本人が自負している通り。首相夫妻による独裁国家化はすでに危険水域を超えていると言うべきだろう。
(編集部)
最終更新:2017.11.22 06:43