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『ケータイ大喜利』から生まれた伝説のハガキ職人の半生、人間関係に悩み自殺まで考えたときオードリー若林が…

『ケータイ大喜利』から生まれた伝説のハガキ職人の半生、人間関係に悩み自殺まで考えたときオードリー若林が…の画像1
『笑いのカイブツ』(文藝春秋)

 本日の放送をもって『着信御礼!ケータイ大喜利!!』(NHK)が約12年で番組の歴史に幕を下ろす。

 ご存知の通り、この番組は視聴者からの大喜利の投稿で成り立っており、番組でネタが採用され、それが審査員の最高評価を得れば、そのハガキ職人は「ルーキー」から「初段、一段、二段、三段……」といった具合に一段ずつ段位が上がっていくシステムになっている。長い番組の歴史のなかで何回かルールの変更はあるが、基本的には8回段位を上がると「レジェンド」という称号が与えられる。一回の放送で読まれるネタが30ほどしかないのに対し、番組に寄せられる投稿の数は30万ほど。採用されるまでに途方もない壁があることを考えると、レジェンドになることがどれほどすごいことなのかがよくわかる。実際、12年の番組の歴史のなかでも、レジェンドは100名ほどしか生まれていない。

 レジェンドとなった投稿者のなかには、後に芸人やライターになった人もいるが、そのなかのひとりが「MURASON侯爵」ことツチヤタカユキ。そんなツチヤが自らの人生を振り返った私小説『笑いのカイブツ』(文藝春秋)を出版、話題を呼んでいる。その小説は、笑いに青春を捧げた不器用な青年による、人間関係をめぐった葛藤の物語だった。

 ツチヤが『ケータイ大喜利』でレジェンドになろうと決意したのは高校1年生のとき。そこでまず彼は、番組で採用されたネタをすべてノートに書き起こして分析、ボケのパターンなどを研究した。そしてネタを書き始めたのだが、採用される段階にすらなかなか辿り着くことができない。高校卒業までの間に何百とネタを送ったが、結局ひとつも採用されることはなかったという。

 普通なら諦めてもおかしくない成績だが、ここからのツチヤの努力がまたすごい。彼は1日に100個のボケを出すことをノルマに設定。その練習は高校を卒業してフリーターになるとどんどん増えていき、1日500個にまで到達。そして、19歳のときに初めて採用される。そこからは1日のノルマが1000個、2000個とどんどん増えていき、最終的には、起きている時間は常に大喜利のボケを考えているようになっていったという。「今日は何を食べたのか」、「風呂に入ったか否か」ということすらまともに思い出せないという普通ではない精神状態になっていったが、すべてを捨てて大喜利に打ち込んだその努力は報われ、21歳のとき念願のレジェンド昇格を果たす。

 そして、彼はその腕を見込まれて吉本の劇場作家見習いになり、プロとしてお笑いの世界に飛び込むのだが、ここで壁にぶちあたる。人間関係である。

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