ところが、こうした発言に、ネトウヨからは〈でも四季の変化を愛でる文化は日本だけ〉なんて唖然とするような反論が出てくる始末。
連中はヴィヴァルディの協奏曲「四季」を聴いたことがないのだろうか。西洋絵画には、ミレーをはじめ四季をモチーフにした絵画はたくさんあるし、日本でも使われる「青春・朱夏・白秋・玄冬」というのはもともと中国に由来するものだし、フィンランドのムーミンだって春の訪れをよろこび、短い夏を思いっきりたのしみ、秋になればスナフキンが南へと旅立ち、冬は冬眠したり雪とたわむれたり……季節の移ろいが描かれた文学や映画は世界中にいくらでもある。自分のプライドを満足させるために、どこの国にでもあるようなものを自分の国だけのようにがなり立てて、恥ずかしくないのか。
最近よくもてはやされている「おもてなしの心」なんかも同様だ。どこの国にもそれぞれのもてなし方があるし、一方で日本には「郷に入れば郷に従え」などと自文化を強要する考えや、よそ者に対して排他的な面だってある。
ちょっと冷静に考えればわかることだと思うが、そうした留保を許さずただひたすら日本を礼賛しなければいけない空気が、「日本スゴい」番組にはある。いや「日本スゴい」番組に限らず、情報バラエティやニュース番組にもそういう空気は流れている。
そして、これらの番組ではスタジオにコメンテーターとして外国人タレントが招かれ、日本の文化風習についてコメントを求められるのがお決まりのパターンとなっている。
こういった「日本スゴい」番組が跋扈する状況については、過去にも、モーリー・ロバートソンがこのように揶揄するツイートをしたことがある。
〈マスコミの「日本はすごい!」コンテンツは、むしろ制作費が底をついていることや、判断力が高い人達がテレビ・活字メディアから離れたことに関係しているかもしれません。ぼくにも往々にして「日本をほめる外人」枠で仕事が回ってきます。ギャラ激安で。〉
確かに、彼が指摘する通り、「日本スゴい」番組の隆盛の背後には、メディアのコンテンツ力が劣化したというのもあるだろう。ただ、それ以上に大きいのは、日本社会が日増しに内向きになり右傾化していっているということだ。
それは外国人タレントだけの問題ではない。日本人タレントでも日本批判めいたことを公の場で発言すれば、「反日」「在日は帰れ!」などといった中傷が殺到する。それどころか、外国のスポーツ選手を応援しただけで国賊扱いされる。