さらにもうひとつ、こうしたコメントが犯罪的なのは、「選挙で決まったら黙って結果に従う」のが民主主義のルールだと勘違いしていることだ。
改めていっておくが、選挙の結果に対して反対することはけっして「民主主義」と矛盾しない。むしろ、民主主義を守るために市民に与えられた権利なのだ。
なぜか。それは、代表民主制による多数決が、けっして民意を反映するものではないからだ。有権者は自分たちの選んだ代表者のすべての政治行動をあらかじめ把握できるわけではない。選挙前に票集めのための公約を掲げ、当選後は逆の行動をするケースは多々あるし、選挙前には説明していなかった政策を強行しようとする場合もある。
選挙制度も欠陥だらけだ。多数決が少数派の意見を切り捨ててしまうというのはよくいわれることだが、実は多くの国で採用されている選挙制度は、「死に票」や「票の割れ」によって、多数意見さえも反映される仕組みになっていない。日本の小選挙区制などは典型だし、今回のアメリカ大統領選でも、アメリカ全体での総得票数はトランプよりヒラリーのほうが上回っていた。
しかも、代表民主制では、莫大な資金や強力な後ろ盾、組織力をもっているものしか選挙に勝つことができず、結果、一部のエリートや世襲政治家、トランプのような金持ちに権力が集中してしまう。そして、特定の人びとの利害が優先され、実際には民主主義とは言えない状態が生まれてしまう。
事実、現在にいたる民主主義の礎を築いたルソーは、代表民主制は奴隷制と同じだとまで言っている。
〈イギリスの人民はみずからを自由だと考えているが、それは大きな思い違いである。自由なのは、議会の議員を選挙するあいだだけであり、議員の選挙が終われば人民はもはや奴隷であり、無にひとしいものになる。人民が自由であるこの短い期間に、自由がどのように行使されているかをみれば、[イギリスの人民が]自由を失うのも当然と思われてくるのである。〉(『社会契約論』光文社古典新訳文庫)
代表民主制は人民主権を否定する──そうした問題があるからこそ、民主主義を維持するために、たとえば多数派が少数派を抑圧する法律をつくらないよう、上位の憲法が禁止する立憲主義は生まれたのであり、多くの民主主義国家の憲法では集会の自由や請願権が認められているのである。