〈「若い連中が都合の悪い連絡は必ずシカトするんですよ。メッセージを開かなくても、通知画面で読めるじゃないですか」
「『未読スルー』ですね」
「そうそう。だから、こうやってスタンプや画像を貼るんです。そうすりゃ、気になって開きますからね……そうだよなぁ!?」
彼は奥にいた組員にそう声をかけたが、なにも返事はなかった〉
また、本書でもうひとつ明かされているのが、組長にまで上り詰めた人間たちの意外な素顔だ。上野氏のもとにはしばしば「実は私も書きたいんですよ、本を。どうしたらいいですかね」という質問が暴力団関係者から来るという。確かに、文才云々は置いておいて、ヤクザ生活を長年送っていれば、書く「ネタ」には事欠かないだろう。しかし、なぜ本など書きたがるのだろうか。その裏にはこんな心理があるという。本書のなかで二次団体組長の男はこのように語っている。
〈「生涯ヤクザつづけて、ヤクザのまま死ぬ者はたくさんいますけどね、『生涯日のあたらない道を歩こう』と決めて、そのままの気持ちで死ぬ者はいないんじゃないかなって思うんです。地位を得れば名誉、とはよく言ったもので、社会の裏側で名を馳せると、次は表社会で認められたくなるんですよ。日にあたりたくなるんですよ、必ず。ヤクザがやたら本を書きたがったり、CD作ったりするじゃないですか。あれって、自分が生きた足跡を残したいってのはもちろんなんですが、世の中に認められたいって気持ちもあると思うんですよね」〉
このような思いの発露は、本や歌といったクリエイティブな分野に限らない。組長は続けて語る。
〈「百戦錬磨の親分が社会貢献を謳った投資詐欺に簡単に引っかかったりしますし、引退して僧籍取る親分も多いですよね。ヤクザがボランティアをやると売名行為だなんて批判されますけど、もちろんそういうヤツはいるにしても、大半の者は真剣にやってると思いますよ。半分は自分のためなんですから」〉
こんな弱音を吐く裏には、やはり、現在の暴力団をめぐる状況が大きく影響しているのだろう。周知の通り、暴力団排除条例が全国で施行されて以降、彼らは急速に一般社会から隔絶され、社会的にも経済的にも追いつめられているわけだが、その一例として本書で挙げられているのが葬儀をめぐるいざこざだ。
先代の親分が亡くなった際、これまで付き合いのあった葬儀場から会場の使用を断られ、危うく葬儀を行えなくなりそうになった経験をもつ若頭の男はこう語る。
〈「直接かけ合ったんですよ。長い付き合いなのに、いきなりそれはひどくないですか、って。そしたら、『地域の皆様から苦情が入るんですよ』と。言ってやりたかったですよ、『それじゃ、なにか。地域の皆様ってのは、殺人犯や強姦魔は大丈夫でも、ヤクザと同じ焼き釜には入れないって言ってんのか』と」〉