一緒に怒り、一緒に笑い、一緒に思いを重ねる──。そんな「感動」がある社会なのならば、相模原のような事件が起こっても、容疑者の歪んだ思想にもっと大きな拒否の声をあげ、なにより障害者の不安を取り除くために何をすればいいかを主体的に考えることができる、そんな番組がつくられていたのではないか。そう思うと、『24時間テレビ』を糾弾するより前に、わたしたちはまず、この社会の障害者を取り巻く環境から考えなくてはいけないのではないだろうか。
今回の『バリバラ』は、たんに『24時間テレビ』をあげつらったのではなく、「障害者と健常者が一緒に感動できる社会をつくるには?」という根本の問題まで投げかけていた。そのことは、けっして忘れてはいけないはずだ。
(編集部)
最終更新:2016.08.31 05:30