さらに問題なのが、親たちはこうした押しつけや教育虐待を自覚するどころか、子どもたちが“自主的”に決めたことだと錯覚していることだろう。
8月18日付読売新聞社会面に掲載された「五輪選手の育て方」という特集では、106人の選手の親から「子育て」について聞き取りを行っていたが、多くの親たちが「自主性の尊重」を強調していた。
「子供がしたいことを尊重して後押しし、環境を整えた。前向きな言葉をかけ、褒めて伸ばした」(体操・内村航平選手の両親)
「本人の好きなように決めさせる。頑張っていることには協力を惜しまない」(水泳・萩野公介選手の母親)
だが“子どもが望んだから”というのは本当なのだろうか。多くの選手が時に3、4歳という幼少期から競技生活をスタートさせたことを思えば、それを言葉通りに受け取るわけにはいかない。
“自主性”というのは、子どもが親からの愛情を得るために、親の顔色をうかがい期待に応えようと先取りした結果である可能性が高いからだ。
〈子供のほうが親に遠慮している。本当のことを言ってしまったら親を傷つけてしまう。場合によってはなおさら親子関係が悪くなってしまうかもしれない〉(同書より)、そんな思いから、やりたくないことを「やりたい」と言ってしまうケースも多いのだという。
しかも、子どもが一旦「やりたい」と言ったら、親はその言葉を利用して、“約束”という言葉で子どもを追いつめていく。
〈「あなたは約束を破った」「やるって言ったじゃない!」。親はそのことを責める。約束を破るのは人の道に反することだとされているので、親はそれを厳しく叱る正当性を得る。子供は言い逃れができない。追いつめられてしまう。〉(同書より)
実際、福原愛に3歳の頃から卓球を教え込んできた母・千代さんもこんなことを語っている。
〈卓球を始めたいと言い出したのは愛自身。私がお願いしてやってもらっているわけではありませんから。これが愛には一番、効きました。当時、毎日できる練習相手は私しかいませんので、私が「もうやらない」と言ったら、卓球ができなくなってしまうわけです。〉(「PRESIDENT FAMILY」09年3月号/プレジデント社)
これはまさに、子どもの“自主性”を利用した一種の虐待と言っていいだろう。