動画で戦争反対と平和を訴える水原希子
きのう戦後71年を迎えた、終戦の日。安倍晋三首相、稲田朋美防衛相の靖国参拝は回避された一方、高市早苗総務相、丸川珠代五輪担当相、萩生田光一官房副長官ら安倍政権幹部をはじめ多くの政治家が相次いで靖国神社を参拝した。
参拝した高市、丸川はいずれも、「国策に殉じた方に、尊敬と感謝の気持ちで参拝した」「慰霊のあり方は、外交問題になるべきではない」などと主張した。
しかし、靖国神社はただ祖先信仰や死者の霊を敬う場、日本の伝統にならった神社などではなく、大日本帝国が戦意を煽るために恣意的につくりあげたものだ。
実際、外遊日程を入れることで靖国参拝問題をごまかした稲田防衛相は、
「靖国神社というのは不戦の誓いをするところではなくて、『祖国に何かあれば後に続きます』と誓うところでないといけないんです」(赤池誠章衆院議員らとの座談会、「WiLL」06年9月号/ワック)
「首相が靖国に参拝することの意味は『不戦の誓い』だけで終わってはなりません。『他国の侵略には屈しない』『祖国が危機に直面すれば、国難に殉じた人々の後に続く』という意思の表明であり、日本が本当の意味での『国家』であることの表明でなければならないのです」(渡部昇一、八木秀次との共著『日本を弑する人々』PHP研究所)
などと語っており、明らかに靖国を先の大戦の慰霊の施設ではなく、国民をこれから戦地へ送り込み、国に命をかけさせるためのイデオロギー装置ととらえている。
今回の高市総務相や丸川五輪担当相らのように靖国参拝を肯定する政治家たちの「国のために尊い命を捧げた方々に追悼の意を表するもの」などというのは、詭弁にすぎない。
言っておくが、靖国に祀られている英霊とは戦前の大日本帝国のご都合主義から選ばれたものであり、たとえば数十万人にも及ぶ空襲や原爆の死者などの戦災者は一切祀られていない。靖国神社を参拝するということは、先の大戦に対する反省や、多くの国民を犠牲にした贖罪を伴った行為とは真逆の行為なのだ。