「事務所はジャニー(喜多川社長)さんがメンバー1人につき2回の面談をし、5人全員との面談も2回行って、デビュー25周年のコンサート開催を説得したが、中居、香取、草なぎからは同意を得られなかった、とくに香取が絶対に木村と一緒に仕事をしたくないと強硬だった、などと説明していました。ジャニーさんが『こんな年の僕が頼んでるんだから』と懇願していたのに、聞かなかった、と。解散についても、香取、草なぎ、稲垣の3人、とくに香取の意思が強かったとして、かなり悪し様に批判していました」(スポーツ紙ジャニーズ担当)
実際、スポーツ紙の紙面を見ると、全紙、この情報に丸乗りしていた。たとえば、「スポーツニッポン」はジャニー社長の説得を拒否した4人をこう批判していた。
〈事務所トップの言葉に耳を貸さないのに、事務所には「残りたい」という態度に、メンバーの間に確執があることを理解していたスタッフも「わがままが過ぎる。さすがにひどい」と漏らすほどだった。〉
さらに、これらのスポーツ紙が強調していたのが、SMAP存続の最大の障害が香取慎吾だったということだ。
〈特に、以前からI氏を人一倍慕っていた香取は、分裂騒動以降木村との溝が深く、解散希望の意思が固かったという。〉(日刊スポーツ)
〈「休むなら解散したい」と強く希望したのは香取。関係者は「元マネジャーの女性と一緒につくり上げられないSMAPは、もはやSMAPではないという思いに突き動かされたとしか考えられない」と推し量る。〉(スポニチ)
〈香取にとって、小学生のころから母親のように面倒を見てくれたIさんを木村が裏切ったように映ったのかもしれない。香取は、木村との会話を一切しない状況が続いたという。〉(サンケイスポーツ)
ようするに、木村を拒否する香取のわがままがSMAP解散の決定打になったというストーリーだ。
だが、こうした情報は本当なのだろうか。たしかに、香取は飯島三智マネージャーともっとも絆が深かったため、メンバーと飯島マネを裏切った木村への怒りが大きく、演出を担当するはずだった25周年コンサートについては、徹底的に拒否していた。
しかし、内向的な香取は自分ひとりの脱退を言い出すことはあっても、グループの解散を言い出すようなキャラクターではない。実際、話し合いでも解散についてはむしろ「どうでもいい」という態度だったという。それがなぜ、解散という方向に突き進むことになったのか。香取に近いジャニーズ関係者がこう語る。