また売店のレジで小銭を出そうとしても、目のピントが合わず、指が思うように動かず小銭を落としてしまった鈴木氏は、ある取材者が同じように小銭をバラ撒いてしまった光景を思い浮かべる。
「何年も執拗に続いた夫のDVと離婚のショックからメンタルを深く病み、精神科から処方される抗鬱薬に依存するようになっていた彼女は、床に落ちた小銭を震える指先で一枚一枚集めながら、ぼたぼたと大粒の涙を床に落とした。(略)いま僕は痛いほど彼女の気持ちがわかる。
トラウマチックな体験や強い精神的ダメージは、目に見えないが脳に傷となって残り、結果として様々な認知のズレを生む」
そして鈴木氏が最も恐れた症状が喜怒哀楽の感情の起伏が極端に激しくなりコントロールが効かない「感情失禁」とそれに由来する「話しづらさ」だった。
鈴木氏は口の周辺の麻痺といった身体的原因だけでなく、感情を司る脳の部分が損傷したため、噴出する感情のままに言葉を発し続けたり、叫んで走り出しそうになる衝動に駆られたという。さらに注意欠陥により、会話に合理性が欠けてしまう。
しかしそれはコニュニケーションが下手で相手の言葉尻をブチきり、自分のことばかりを一気に話して周囲から排除される少女たち、そのものだった。
「僕の場合は暴走する感情に任せた会話はルール違反だと感じて抑制しているわけだが、なるほど彼女たち、好きであんなに言葉のナイフをめったやたらに振るっているわけじゃなくて、感情が乗ると言葉を自律的に抑制できなくなるのかもしれない。それで集団から浮いたり、他者から悪い印象を持たれるのが分かっていてもやめられないとしたら、それはそれで、とても孤独で苦しい経験に違いない」
コミュニケーションが苦手で“生きづらい”といわれる人々、貧困や強いトラウマから挙動不審になってしまう人々、様々な障害をもつ人々。それらと高次脳機能障害とは酷似していた。
「高次脳機能障害者の多くはこの不自由感やつらさを言葉にすることもできず自分の中に封じ込めてただただ我慢しているのかもしれない。それは高次脳と症状の出かたが酷似している発達障害や精神疾患などの患者も同様だろう。だとすれば、世の中にはいったいどれほどの数の、『言葉も出ずに苦しんでいる』人々がいるのだろう」