映画『日本で一番悪い奴ら』公式サイトより
政権への忖度、ネトウヨの電凸などによるテレビの萎縮がクローズアップされているが、それは映画も同じらしい。
「良くも悪くもですが、表現の自主規制とかコンプライアンスとか、やや日本が潔癖症になっている中で、こういった作品が打ち出せるのは非常に重要です」
これは、人気俳優の綾野剛が、主演をつとめる映画『日本で一番悪い奴ら』公開時の舞台挨拶で語った言葉だ。
この『日本で一番悪い奴ら』は北海道警察の警察官が逮捕・摘発点数を稼ぐため暴力団と癒着してでっちあげ捜査を敢行。さらに覚せい剤の密売にまで手を染めていたことが明るみになり大スキャンダルとなった実際の事件「稲葉事件」をモチーフとする映画だ。
明らかにモラルに反した、手段を選ばない捜査を生々しく描くこの映画はその過激さから公開を危ぶむ声すらあった。
最近の日本映画ではなかなかお目にかかれない過激な描写のオンパレードに、業界関係者は「よくここまでやってくれた」と喝采を送ったが、そんな声を聞き、綾野はこんなことを思ったと言う。
「そういう声を聞いて、いかに日本の映画が弱体化していたかを実感しました。正直、僕も最初に脚本を読んだ時、『本当にここまでできるのか』と思いました。つまり、僕自身も弱体化していた」(「AERA」2016年6月27日号/朝日新聞出版)
映画を含めたあらゆる表現が「自主規制」の名のもと、どんどん窮屈になってしまっているのはなぜなのだろうか? それにはまず「マーケティング」「ビジネス」上の制約があげられる。そういった点は、大きい予算で動くハリウッド映画においてより露骨に現れる。映画評論家の町山智浩は「ローリングストーン日本版」(セブン&アイ出版)16年6月号でこのように語っている。