しかしそれは、2004年、真央が14歳で全日本ジュニア選手権に優勝したあたりから徐々に変化していく。脚光を浴び、国民的アスリートとしてその地位を着々と築いていく真央。すると、母の視線は姉以上の活躍を見せる妹に向けられていく。
ひねくれてネガティブになっていく舞。しかし、舞にはスケートをやめる自由はなかった。舞が「練習したくない」と弱音を吐くと手が飛んでくるほどの超スパルタだったのだ。
「(母に)一度だけ『辞めたい』と訴えたことがあります。そのときもやはり、パチーン。ああ、私には、やめる自由はないんだ、と思い知らされて。優しかった父もだんだん厳しくなってきて、いつしか両親に対して、自分は何ひとつ言えない状態になっていました」
どんどんネガティブになり、生活も荒れ始めた舞。すると、母親はやがて舞のことを厄介者扱いするようになり、「真央に迷惑をかけないで」とまで言うようになったという。そして、ついには母親と父親からこんな仕打ちを受けたことも告白している。
「あるとき『舞を放っておいたら何をするか分からないから』と、部屋に閉じ込められたことがあります。父に一日中監視され、苦痛のあまりお小遣いだけを持って夜中に2階の窓から飛び降り、家出しました。父が追いかけてくるのではと、駅まで猛ダッシュしたことを覚えています。(略)それ以降、両親はあきれ果てたのか、私のことは相手にしてくれなくなりました。ああ、見捨てられたんだな、と思った瞬間です」
家族の期待を一身に浴びる妹と、挫折し家族から疎外され、追い詰められていく姉。そして舞は、その憎しみを次第に妹に向けていったのだという。
実は、こうしたケースは決して珍しいものではない。自らの願望や価値観を過度に押しつけ、子どもの人生を支配しようとする母親の存在は、「母親がしんどい」というキーワードでしばしば語られるが、それに加えて、兄弟や姉妹のうち、その期待に応えた方の子ばかりをかわいがり、期待を裏切ったもう一方の子については怒るかあるいは無視するような対応を繰り返す母親も少なくない。
しかも母親も子どももそのことに対して無自覚な場合が多く、原因のわからないまま、兄弟、姉妹の不仲、親子間の確執が重大なものになってしまう。年齢を重ねて初めて母親からの呪縛を自覚し、その関係に苦しんでいる人も多い。