そんな「救う会」だが、しかし拉致問題の膠着と共にその影響力も急速にしぼんでいった。そんな時に起こったのが今回の写真騒動だ。
「拉致問題は自分たちのものという考えが強い『救う会』ですから、自分たちが蚊帳の外に置かれた今回の写真掲載は許せないものだったのです。“北朝鮮に利用される”“拉致問題を終わらせていいのか”という“脅迫”は『救う会』の常套句ですからね。実際、これまで孫に会いたいと切望していた横田夫妻ですが、10年以上会えなかったのも『救う会』が強固に反対していたからという側面も強い。これまでの経緯から横田夫妻がその要求に従わざるを得なかったのでしょう」(元「救う会」関係者)
実際、2002年のときも、一時は横田夫妻が北朝鮮に行って、ウンギョンさんと会うという計画が進んでいたことがあった。ところが、このときも「救う会」の圧力で、計画が流れてしまった。今回の記事には、その経緯にかんするくだりもある。
〈「会えばお母さんは亡くなったと言わされる」と支援団体が主張したからだ。(略)
「平壌に行くわけにはいかないから難しい」
それがお二人の結論だった、孫に会いたい願いを隠しながら時間だけが過ぎて行った。〉
早紀江さんはウンギョンさんにこうも語りかけている。
「これは国どうしの問題で、あなたの問題ではないのです。あなたは大切な孫だから、信じているし、嫌いだから来なかったわけではないのよ。いつも祈っていました。これからもそうですよ」
さらに有田氏が再び第三国で会うつもりはないかを問うと、早紀江さんは高齢で身体が許さない。となると、「状況が許せば(ウンギョンさんたちに)日本に来てもらうしかないですね」という有田氏の言葉に、こんな心情を吐露している。
「いまでも会いたい気持ちは強いですよ。でもわたしたちだけがいい思いをするわけにはいかないんですよ。ほかの被害者の方々もいらっしゃるでしょ」
孫娘に会いたいという切なる願いさえ、「救う会」によって抑圧されつづけた横田夫妻。にもかかわらず他の被害者を思い、そして支援団体の呪縛から未だに解放されることはないことが言葉の端々に滲んでいる。そして「救う会」によって前記のような声明を出さざるを得なかった。
「実は一連のネットの有田バッシングの中には、『救う会』と『救う会』と連動している加藤勝信拉致問題担当大臣の周辺が発信源のものがあるようです。実は、ネットだけではなく、週刊誌や保守系新聞も一時はその情報に乗って、『有田氏が横田夫妻を騙した』という線で取材していた。ところが、動いてみたら、まったく事情が違ったんで、結局、どこも記事にはしなかった」(週刊誌関係者)
まったくうんざりするような舞台裏ではないか。
横田夫妻が政治的な思惑にふりまわされずに、「孫やひ孫に会いたい」という当たり前の願いを再び実現できる日はやってくるのだろうか。
(伊勢崎馨)
最終更新:2017.12.05 09:43