6月16日号の「週刊文春」(文藝春秋)と「週刊新潮」(新潮社)
北海道七飯町の山中で迷い、6日後に自衛隊演習場の敷地で無事発見された田野岡大和くん。7歳の男の子が10キロに及ぶ山中を歩いた末に、自力で小屋を見つけ、水だけで6日間を生き抜いた。そのサバイバル力に、テレビやネットでは称賛の声があふれた。
で、それから約一週間、この奇跡の生還劇にあやかって、「週刊文春」(文藝春秋)と「週刊新潮」(新潮社)が、同じ6月16日号でまったく同じ企画を掲載していた。「北海道・男児置き去り事件 山道10キロを記者が歩いてみてわかった」(週刊文春)、「6日間の神隠しから生還した『北海道少年』の歩いた道を辿ったら」(週刊新潮)──。そう、どちらも大和くんの歩いた道を記者が歩き、その体験をレポートしていたのだ。
「文春」と「新潮」といえば、何十年もの間、張り合ってきたライバル。つい先日も、「文春」の記者に「新潮」がこっそりアプローチして原稿を書かせていたことが発覚し、「文春」の新谷学編集長が「巨人のピッチャーが覆面をして阪神で投げるようなもんだ」と激怒して、その記者をクビにするというトラブルが起きたばかりだ。
現在のところ、部数やスクープの数では「文春」がリードしているが、これを読んだら、記者の根性と体力はどっちが上か、わかるかもしれない。興味津々で読み比べてみた。
まず「文春」。大和君が迷い込んだ山道を歩き始めたのは31歳の男性記者だったが、この記者が面食らったのは、方向感覚の喪失だったらしい。いきなりこんな弱音を吐く。
〈迷い込んだ山道は分岐がある上、曲がりくねっている。歩いているうちに、次第に方向感覚が麻痺してくる。自分の位置が分からなくなると、来た道を戻る気持ちにならないことがわかった〉