ちなみに、加藤氏のスクープはけっして、安倍政権に対して有利とか不利とかの影響を与えるものではない。にもかかわらず、なぜ読売新聞は、これを潰してしまったのか。
加藤氏は最近、スタジジブリの雑誌「熱風」に連載されているジャーナリスト・青木理氏の対談に登場。その理由について述べ、読売新聞の最近のありようを改めてこう批判している。
「だんだん官僚的になって、事なかれ主義になっている。今の政権にくっついていればいいんだと。それ以外のことは冒険する必要はなく、余計なことはやめてくれと。これは事実だからいいますけど、読売のある中堅幹部は、部下に向かって『特ダネは書かなくていい』と平気で言ったんです。これはもう新聞社じゃない。みんなが知らない事実を見つけようという気持ちがなくなった新聞社はもう新聞社じゃないと僕は思います」
「この新聞社にいても書きたいことは書けなくなってしまった。そういう新聞社になってしまったということです。社内の人間は多くが息苦しさを感じている。(略)でも辞められない。生活もありますから。だからみんな泣く泣く、やむなく指示に従っている。」
かつての読売は本田靖春氏や大阪の黒田軍団を引き合いに出すまでもなく、自由闊達な雰囲気があった。それが明らかに変わり始めたのは、今年5月30日の誕生日で90歳になった渡邉恒雄会長兼主筆が、1979年に論説委員長に就任してからだったという。渡邉氏はオーナー経営者でもなければ、販売の神様といわれた務台光雄氏のような実績があるわけでもない。権力基盤は非常に脆弱だった。そこで、飴とムチと権謀術数による支配を築くことに着手した。
自らになびく相手は徹底的に大事にするが、歯向かう相手は完膚なきまでに叩きのめす。結果は功を奏して、渡邉氏は名実ともに読売トップとして全権を掌握することになる。渡邉氏が社長の座を手にしてからもう20年以上になる。この間に“反ナベツネ”勢力は徹底的にパージされている。いまや渡邉氏の周囲はイエスマンばかりで、社内には“事なかれ”と“忖度政治”がはびこるようになったという。
独裁体制が長引くにつれて渡邉氏本人の意向ではなく、渡邉氏の意向を勝手に忖度する“忖度システム”が肥大化するようになる。いまや読売で出世するには取材力や企画力より“忖度力”が重要だといわれるほどだ。
そして、この間いちばん変貌したのが読売社会部だった。かつて渡邉氏の出身の政治部と対立し、渡邉独裁体制を牽制する勢力としての存在感を示していたが、いまでは渡邉氏の“御庭番”として完全に取り込まれている。その中心を担っているのが、“ナベツネ防衛隊”とも呼ばれる法務部だ。もともと社会部出身者が担う部署だったが、数年前に法務室から法務部に格上げされ、社会部の司法担当経験者などエース級が集められるようになったという。