実際、2011年くらいから、それまでジャニー派といわれていたタレントたちのブッキングやプロデュースを飯島氏が行うようになっていった。KAT-TUNから始まって、Hey! Say! JUMP、A.B.C-Z、Sexy Zone、Kis-My-Ft2、山下智久……。
ところが、メリー氏とジュリー氏はこれに警戒心をもち、飯島氏の管轄になっていたタレントの切り崩しをはじめる。KAT-TUN、Hey! Say! JUMPに踏み絵を踏ませ、ジュリー派に強引に移すという措置もとられた。
ようするにジャニーズ事務所の派閥争いは、「飯島派&ジャニー派」と「メリー&ジュリー派」の対立だったのだ。
ところが、派閥抗争が深刻化すると、ジャニー氏の態度は一変する。14年、この派閥抗争を「週刊文春」(文藝春秋)が取材したことをきっかけに、メリー副社長が飯島氏に「SMAPを連れて出て行け!」と激怒。飯島追放に本格的に動き始めたのだが、ジャニー氏は完全に知らんぷりを決め込んで、飯島氏を助けようとはまったくしなかった。
「実は、メリーさんはこのとき、ジャニーさんが飯島さんの会社であるジェイドリームの社長についていることをはじめて知って激怒。ジャニーさんに詰め寄ったらしいんです。ところが、ジャニーさんは『勝手に社長にされた』『知らなかった』と言い訳したらしい」(ジャニーズ事務所元関係者)
そのあとの顛末はいまさら説明する必要もないが、このジャニー氏の姿勢の背景にあるのは、ジャニー氏といえども、メリー氏が本気で怒り始めたら、絶対に逆らえないという事実だ。
ジャニーズ事務所はタレントを発掘演出する才能に溢れ、少年たちに囲まれる日々だけを望むジャニー氏と、経営やメディア対策など実務に長けた姉のメリー氏という二人三脚で勢力を拡大してきた芸能事務所だ。好き勝手にしてきたジャニー氏を支え続けてきたのがメリー氏であり、そのためジャニー氏にとってのメルー氏は頭が上がらない存在だった。さらに1999年に勃発したジャニー氏の「ホモセクハラ疑惑」に対してマスコミ対策を行い、ジャニー氏を守ったのもメリー氏だった。
そのため、ジャニー氏はギリギリのところではメリー氏に絶対逆らえない。後継者についても、メリー氏がジュリー氏を指名したら、その手腕をいくら疑問視していても、受け入れざるをえない。