なお、開沼および竹内は16年にも「婦人公論」の電事連広告で“共演”している。これは「竹内薫の暮らしにもっとサイエンス エネルギーを考える」なるタイトルの不定期連載シリーズで、主に富裕層の主婦をターゲットにしていると見られるが、その内容は、竹内がひとりのゲストを迎えて対談するというもの。毎回、フルカラー4ページという信じられない誌面の割り方で、15年は杉山愛、女流棋士の矢内理絵子を相手に“原発推進トーク”に花を咲かした。これも、冒頭から途中まではゲスト中心の話題なのだが、中盤に突如、竹内がエネルギーの話に無理やりすり替えていく。たとえば矢内棋士がゲストの回ではこんなふうだ。
「勝つためには全部の駒の異なる性質を使い分け、総力を発揮しなくてはないらない。それは、日本のエネルギー事情にも似ています」
「将棋にたとえれば、ひとつの駒に頼っている状態です」
「特定のエネルギー源に依存するのではなく、これらの駒を上手に組み合わせてバランスよく対応する必要がある。これを『電源のベストミックス』と呼んでいます」(「婦人公論」15年4月14日号より、竹内の発言)
プロの棋士をなめているとしか思えない酷いたとえ話だが、そこはパブ対談、矢内棋士も「将棋では、この一手を指したら局面がどう変わるのかを考え、ずっと先を読んで勝負しますが、エネルギーに関しても、大局を見据えた長期的な視点が大切だと思います」などと相槌を打つ始末だ。アホみたいな話だが、いずれにせよ、「なんとなく読んでいたらいつのまにか原発推進に向かっていました」というような手法。ほとんど詐欺であることに変わりはない。
ではなぜ、メディアはこんな読者を欺くような広告を掲載し、タレントや知識人はすすんで出演しようとするのか。いうまでもなく、最大の理由はカネだ。元博報堂社員で電力業界の広告戦略に詳しい本間龍氏は、著書『原発広告と地方紙』(グリーンピース・ジャパン)で、前述した「新潮人物文庫」のデーモン小暮のケースについて〈デーモン氏の知名度からすると(ギャラが)五〇〇万円以上であることは確実〉で、〈ちなみにこの広告でいえば、新潮への掲載料はカラー見開きで約三五〇万円であり、そこに広告原稿の制作費、タレントの出演料が加わって、合計の制作費・掲載料はゆうに一〇〇〇万を超えている〉と見積もる。なお、読売新聞全国版の全面広告は、一回で4000万から5000万の費用がかかると言われている。いずれにしても、部数減少が下げ止まらない雑誌・新聞業界からしてみれば、大金が動く原発広告は目がくらむようなものであることは間違いない。
また、見てきたとおり、原発広告に起用されているのは、学者や評論家の他、春香や優木まおみなど、テレビコメンテーターとして活躍し、知的なイメージを売りにするタレントだ。彼らは表向き「冷静な議論が必要」「エネルギー問題を身近に考えよう」などと中立を振舞うが、実際には電事連やNUMOがスポンサーであるから発言はコピーライターがリライトしており(あるいは名義だけ貸して全てゴーストが書いていると推測される)、最終的に意見は原発推進へ収束する。そうすることで、対談や鼎談という形式でオルグされた“新顔”たちもまた、気がつけば“原子力ムラ”という利権共同体に取り込まれていくわけだ。
そして、彼らのような“原発文化人”は、原発広告の増加とともに、今後も間違いなく増殖の一途をたどるだろう。日経広告研究所が毎年発行している『有力企業の広告宣伝費』の13年度版と14年度版を見比べると、例えば東京電力の宣伝広告費は16億9800万円から30億1000万円へと倍増、非公開の電事連やNUMOなど関連団体の広告予算もかなりの水準で上昇していると言われている。
もうひとつ、3.11以降に復活した原発広告に特徴的なのは、出稿主がメディアを明らかに選別、差別化をはかっていること。そして、社員である編集委員や記者をがっちりと抑え込んでいることだろう。