「大企業の経営者が従業員の500倍あまりの給料を手にするのは道徳的に正しいのか。アメリカの勤労者を解雇して利益を出しているようなものなのに」
「いまこの国の支配層は、まるで酒や麻薬に依存した人のようだ。もっと、もっと、と欲しがる。どれだけ大勢の子供達が貧困にあえごうと、どれだけ失業率が高かろうと、おかまいなしだ。もっとくれ、もっとくれ、もっとくれ、と言っている」
「この醜悪なまでの格差は不道徳であり、経済的にもまずいし、持続不可能なものだ。 アメリカの経済がこんなインチキでいいはずがない。変らなくてはならない」
こうしたサンダースの言葉の一つひとつが、若者や弱者、貧困層に刺さる。
しかも、サンダースの政策はただ理想を語っているだけでなく、たしかな成果を生み出している。1981年にバーモント州のバーリントン市長に当選すると、彼は信念に基づく社会主義的政策を次々と導入した。労働者向けに安価な住宅を供給したり、大型スーパーの進出を阻止して商店街を守ったりした。消費者協同組合を結成し、市民向けに無料の芸術文化イベントをも企画している。こうした施策がやがて人口約4万人のバーリントン市を全米で「最も住みやすい街」と言わしめる結果をもたらした。
サンダースには「社会主義なんてただの絵空事、なんの現実性もない」という批判は通用しない。むしろ、資本主義が内包している問題点を解決するためのきわめて現実的な選択肢として、社会主義的政策を米国民に提示し、それが評価されているのだ。
実は、こうした社会主義的政策に対する再評価はヨーロッパでも起きている。昨年9月のイギリス労働党の党首選がいい例だ。勝利したのは同党の最左派に位置するバリバリの社会主義者、ジェレミー・コービン(66)だった。
コービンは労働組合の活動家などを経て83年から英下院議員を務めている。議員でありながら84年には南アフリカのアパルトヘイト政策に抗議し、逮捕された経歴もある。労働党がニュー・レイバーと称して「第三の道」を唱えてからもブレずに社会主義者としての政治姿勢を貫き続けた。トニー・ブレアの労働党政権がイラク戦争に参戦しようとした時には、500回以上もの造反を繰り返した。
その政治主張は反戦、反緊縮財政、移民保護に始まり、富裕層への課税強化、企業優遇の廃止、最低賃金の加算、大学の無償化、鉄道の再国有化、弾道ミサイル潜水艦の全廃、イスラム国への空爆反対など。大学の無償化や金持ちへの課税など、サンダースの主張と重なる部分も少なくない。
ついでにいうと、労働党の党首選でもサンダースと同じく、当初はまったくの泡沫候補扱いだった。それが、若者層の熱狂的な支持を受け、奇跡の逆転劇ができたのも、やはり反自由主義、反格差のうねりがベースにある。