──昨年、想田監督はツイッター上で、菅官房長官がよく言う「その指摘は全くあたらない」「粛々と進めていく」などの“菅官房長官語”でレスポンスを行うという実験を行ってましたね。非常に痛快だったのですが、一方で、安倍政権の支持率が下がらないところを見ると、「民主主義を守れ!」というようなリベラル側の言葉もマスに届いていないのではないか、と思うことがあるんです。
想田 うーん……それはある意味、すぐにはどうにもならないのではいかと僕は思う。ハンス・ケルゼンというオーストリアの法学者が、ナチスが政権をとりそうなときに、“もう民主主義は重病人であって、死ぬことはわかっている。だから、私たち民主主義者は重病人を診療する医師のようなものだ”というようなことを言っていた。「民主主義者は身を忌むべき矛盾に身を委ね、民主制救済のために独裁を求めるべきではない。船が沈没してもなおその旗への忠実を守るべきである」と。ようは、たとえ民主主義が瀕死の状態であっても、しかし、自分は民主主義の旗を降ろすことはない。そうすることによって、あとでもう一度、民主主義が浮上する可能性が保たれるんだ、という趣旨です。僕はいま、その心境ですけどね。
──しかしそれだと、“負けはわかっているけれども、やってることに意味がある”みたいな、一種の敗北主義に陥らないですか。
想田 それはちがう。現実を見ているだけです。負けていいとは思わない。負けないためのあらゆる方策は講じるし、最後の最後までやれることはやる。しかし、たとえそれがうまくいかなったとして、そのときに何ができるか。それが、自分だけは民主主義の旗を下ろさないってことなんです。だから逆なんですよ。敗北主義じゃなくて、最後まで自分は負けないということ。人間、いつか死ぬとわかっていても、よりよく生きようとするでしょう。それと非常に似通っています。いま、この日本の民主主義というものは、どんどん悪くなっている。もしかすると、中国とか北朝鮮みたいになるかもしれない。だけど、自分が信じているものは変わらないし、旗は下ろさない。いまその覚悟が、各人に問われているんじゃないか。そう僕は思います。
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インタビュー中、想田監督は、ただの一度も言葉を濁すことなく、安倍政権に対する的確な指摘を繰り返した。そして“何をしても無駄ではないのか”という沈鬱なムードに対して、「それでも民主主義の旗をおろさないことが重要」と力強く言い続けた。他方、自身の政治的発言と映画制作とは一線をひいているという。それは、『牡蠣工場』が放つ詩的な印象からも頷ける。
『牡蠣工場』は、瀬戸内海に面した小さな町を舞台にした、静かな物語である。決して悲壮感を喚起させようと仕掛ける映画ではない。しかし鑑賞後には、何かじりじりと追い詰められていくような、そんな感覚が、しこりみたいに残る。テレビやマスコミが流すものからこぼれ落ちているもの。想田監督は丹念に「観察」することで、それをあぶり出していく。
「安倍さんが『牡蠣工場』を見に来たら? そうだな、シンプルにこう聞きたい。『どう思いましたか?』って」
言葉と映像の両側から時代を切り取る想田監督の活躍に、本サイトはこれからも期待したい。
(インタビュー・構成 梶田陽介)
■『牡蠣工場』 監督・想田和弘
2月20日(土)より東京/渋谷 シアター・イメージフォーラムにてロードショー、ほか全国順次公開。詳しくは公式ホームページにて。
また、1月に刊行された『観察する男 映画を一本撮るときに、監督が考えること』(ミシマ社)には、『牡蠣工場』を製作中の想田監督の思考が刻まれている。こちらも合わせて鑑賞すると、本作をより楽しめる。
最終更新:2016.02.14 12:02