赤西がお気に入りだったジャニー喜多川社長はなんとかかばって、彼を事務所に残そうとしていたが、メリー氏は頑として受け入れず、結局、赤西はジャニーズ事務所を去り、テレビから完全に姿を消した。
同じく元KAT-TUNの田中聖が契約解除されたのも、メリー氏のツルの一声だったという。
とはいえ、こうした追放劇は“瞬間湯沸かし器”といわれていたメリー氏の性格がさらにエスカレートした結果で、いわば、それまでの行動の延長線上に起きた予想可能な範囲のものだった。
だが、例の「週刊文春」のインタビューでの発言があった前後から、明らかにこれまでのメリー氏とは違う一面が目立つようになった。
そのひとつのあらわれが、昨年1月頃からジャニーズ事務所で、広報の仕事のやり方ががらりと大きく変わったことだった。
「取材の申し込みに関する決裁が遅くなったうえ、すごく細かい企画書を要求されるようになったんです。それで、聞いてみたら、メリーさんが全部判断を下すことになったからというんです。雑誌やスポーツ紙のインタビューはそれまで、広報担当幹部のS氏らがメディアの簡単なメモ程度のもので決裁していたのが、メリー氏がわかるようにすべてを説明しなくちゃいけない、と。取材やインタビューでさえこれなんですから、テレビ出演などはもっと、ということでしょう」(スポーツ紙J担記者)
それまでのメリー氏は、強権的ではあったしヒステリックでもあったにせよ、信頼している幹部や、能力を買っているスタッフにはある程度、仕事を任せてしまう懐の広さもあった。それはあれだけ敵視していた飯島氏に対しても同様だった。
ところがある時期から、猜疑心が異常に強くなって、すべてを自分が把握しないと気が済まない状態になっていったということらしい。