〈こうした社会では、女による「セックスアピール」が大事になってきます。
父から息子へ財産が伝えられる父系社会では、女の貞操に厳しくならざるを得ないために、色気を強調するそぶりや服装は「みだら」「はすっぱ」として貶められますが、母系的な社会では、父親が誰であろうと、女の血筋を伝えることが大切ですから、より他の女に勝てるよう、「女のセックスアピール」が大事になるのです。
代わりに軽視されるのが、母性や、家まわりのことができるといったいわゆる「家庭的であること」〉
現在のような父系的な社会では、いわゆる「世話女房」のような存在は褒められるものとされる。たとえば「女子力」という言葉もこういった背景から生まれてくるのだろう。しかし、平安時代はそうではない。『大和物語』では、妻のもとにやって来た夫が、自分のいないところでは質素な服を着て立ち働いている姿を垣間見ることで幻滅する姿が描かれている。いまであれば、こういった姿を見て惚れ直すことはあっても、「幻滅する」ということはまず有り得ないだろう。
〈平安時代は「エロい女がエラい」。そういう意味での「女子力」(料理や子供の扱いがうまいという意味の女子力では決してありません)が求められるのが平安貴族なのです〉
また、いまの価値観と異なるのはここだけではない。なんと、この時代には「母性」というものすらなんの価値もないものとされていたのである。『うつほ物語』には、娘におしっこをかけられた夫が「この子を抱いてください」と頼むも「まぁ汚いこと」と言ってそっぽを向く母親が出てくる。いまなら育児放棄の母親として否定的に描かれるだろうが、この時代は「彼女は内親王で、究極のお嬢様だから」といった文脈で語られ、否定どころか、育ちのいい証拠として肯定的に書かれている。
母系的な社会が生み出した、いまとは異なる価値観。これらは、当時の貴族たちの政治様式によって、より強化されていくことになる。