また、11月21日、武まゆみの無期懲役判決後、「わたし、本を出したいんだけれど」と依頼され、小林氏は承諾。一気に書き上げた原稿用紙350枚は『愛の地獄』(講談社)として世に出ることとなった。
〈彼女が16歳で処女を捧げ逮捕されるまでの16年間の愛人生活、そして犯行の全てを記している。物的証拠の少ない本件は、愛人たちの証言が八木さんを追い詰めたといえる〉
さらに、懲役13年が下ったもうひとりの愛人・加藤京子(仮名)は、面会時、こう語ったという。
「記者会見で嘘ばかり言って申し訳ございませんでした。Bさんが亡くなって、警察の最初の事情聴取の時に、Aさんのことはすべて話していました。でもああいう状況でしたから、八木に言われるままに会見をしたのです。Bさんの保険証書もくれないし、次にわたしが殺されると思っていました。八木からお金がもらえたら、お母さんと貴史(仮名/八木との子ども)を連れて逃げるつもりだったのです」
彼女の言葉からは〈八木さんに対する未練が感じられた〉ものの、小林氏は愛人たちの心が八木から離れゆくのを感じ取る。その後も小林氏は裁判を傍聴、〈「元気だった。無罪だよ。また一緒に飲もう」と傍聴席のわたしに話しかけてきた〉りなど、相変わらずの八木だったが、ついに02年10月1日、死刑が求刑される。
求刑後の初めての面会では、〈「小林さんは武の嘘本を作った責任がある。あの本のおかげで家族は俺から離れ、人生はメチャクチャにされた」(中略)そして「俺は無罪だ」と15分間、捲し立てた〉。その内容は、〈まゆみは女検事に騙され嘘の供述をした〉こと。〈あんパンにトリカブトを入れて食わせたというのは偽りの記憶〉だということ。さらに愛人たちは死体を見ていないし、トリカブトで殺されたとされる〈Aさんは利根川に飛び込み自殺した〉というものだった。
小林氏は、〈真顔で力説する八木さんが、嘘をついてないように思えるのは人徳なのだろう〉と実感する一方、〈まゆみやカレン、加藤京子が拘置所でわたしに見せた涙と言葉に、嘘はないと確信している。冤罪だと叫ぶ八木さんの言葉に、わたしはリアリティを感じなかった〉という。