そのなかには、大塚愛「恋愛写真」のようなヒット曲も含まれている。「恋愛写真」は06年にレコード大賞の金賞を受賞、さらにその年の紅白歌合戦でもパフォーマンスされている曲である。そんな楽曲ですら、JASRACの管理でないことを理由に放送を敬遠されるようになってしまうのである。
なんともひどい話であるが、時計の針をぐっと戻して、そもそも、なぜ前述の著作権等管理事業法がつくられ、JASRACの独占ではなく民間の参入も促して競争させようという発想が生まれたのかについても述べておきたい。実はそのいきさつにも、JASRACのお役所的かつ横暴な振る舞いがあった。
JASRACに対抗するような新規事業者も参入できるように国に働きかけたのも、これまで述べてきた三野氏なのだが、そのきっかけにはこんな事件があった。それは、1995年、三野氏が音楽プロデューサーとして仕事をし、森高千里「渡良瀬橋」のCD-ROMを製作しようとしたときのことである。
〈これまでにない形式の商品だったので、楽曲の使用についてJASRACに相談したのですが、そのときに「使用料金はビデオと同じ」だと言われた。CD-ROMの販売価格をまるで無視した話で「そんな商品は作るな」と言われているようなもの。そこで「JASRACはマルチメディアを理解していない、おかしい!」と〉(前出「週刊SPA!」より)
1990年代中盤以降、インターネットの普及により、音楽産業は激変の時を迎えていた。アメリカでは99年に、現在のストリーミング配信の先駆けであるNapsterが生まれている。そんな状況に対し、JASRACはお役所的対応を進めるのみで、インターネットの勃興以降、変化のスピードを早めた音楽ビジネスに対応することができなくなっていた。
そこで、新規事業者の参入を認める法改正が行われたわけだが、先ほど述べた通り、それでもなおJASRACは既得権益を手放そうとはせずあがいたのである。だが、その長い戦いも今回の最高裁判決でようやく幕を閉じた。
ご存知の通り、いま音楽産業は崖っぷちの状態だ。特に、CDなどのオーディオソフトの売り上げは悲劇的で、サウンドスキャンジャパンの調査によれば、2014年のオーディオソフトの売り上げは1965億円。1995年の調査開始以降、始めて2000億円を切ってしまっている。
2001年に著作権等管理事業法が成立して以来、15年近くの時を経て、ようやく本当の意味での音楽著作権ビジネスが始まる土壌が出来上がった。この動きが日本の音楽産業復活の狼煙となることを祈るばかりだ。
(新田 樹)
最終更新:2018.10.18 04:05