「原節子がやってきて、今井さん、これ兄からですって封筒を差し出すんです。(中略)その手紙には、日本は全勢力をあげて南方諸国に領土を確保しなければならない、その時に日本国民の目を北にそらそうと目論んでいるのはユダヤ人の陰謀だ、この『望楼の決死隊』は日本国民を撹乱しようとするユダヤの謀略だから即刻中止されたいというようなことを書いてあった」(『戦争と日本映画 講座日本映画4』岩波書店)
この「兄」というのは、前述した原との恋愛関係も噂された次姉の夫・熊谷監督のこと。熊谷は旧日本陸軍の鉄道連隊の兵士と、彼を指導する老機関士の交流を描いた1941年の映画『指導物語』が名作とされる監督だが、彼は「スメラ学塾」という「日本・シュメール起源説」を唱える極右団体の重鎮でもあった。
スメラ学というのは、戦時中の日本において高級軍人や学者、文化人などの間に一定の支持者を持っていた論で、その趣旨はメソポタミアのシュメールが西方に移動し、日本で神武天皇をいただく神政国家を作り上げたこと、ユダヤ金融資本に支配されたアメリカなどと対決し、日本がスメラ文化圏を作り上げるべき、というものだった。
あの原節子がユダヤ陰謀論を?と信じがたい思いだが、今井監督は、同書の中でこう続けている。
「(熊谷監督は)そのころからだんだんおかしくなって、すめら塾(ママ)って極右団体に入って、かなりえらいところまで行ったんじゃないの。だから、その影響で原節子までユダヤ人謀略をとなえるありさまだった」(前掲書)
熊谷監督は原との恋愛関係を噂された男性の中で、もっとも信憑性が高いとされる相手だが、思想的にも大きく影響を受けてしまったということなのだろうか。
実際、原はこのスメラ学塾が結成した劇団・太陽座にも所属していたという。
この劇団がどの程度の活動をしていたのかは不明だが、その創立案内状には、その結成趣旨が以下のように記されている。
「英米撃滅の聖戦はいよいよ激しく、ますます進められていく(中略)この人類史上初つて以来の大戦果に相応しき大東亜の規模に於いて、その指導民族、強大日本に相応しき大演劇の樹立、又緊急必須の問題であること論をまたない」(『原節子「永遠の処女」伝説』本地陽彦/愛育社より)