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キングオブコメディ高橋健一はなぜ「女子高生の制服」に走ったのか? 背景にある洗脳願望とコンプレックス

 森岡氏は同書の中で、女子中学生や女子高生の制服に執着する背景についてまず、〈中学校・高校がその着用を義務づけているという点にある。私は、制服少女の向こうに、「学校」を透かし見ているのだ。〉という。

 つまり、この「学校」という場所にこそフェティシズムを喚起する理由があるというのだ。どういうことか。

〈中学校や高校の教育は、生徒の頭の中に知識や価値観を流し込むこと、すなわち「洗脳」にかぎりなく近くなるということである。中学校や高校においては、「学校」が基本的に「洗脳」の場になっているということ、ここに何かの秘密があるのではないだろうか。
 そういう目で見てみると、中学校や高校は、柔軟性に富んだ少年少女たちを、経験を積んだ大人たちが、よってたかって公然と「洗脳」することが許されている、きわめて危ない場のように思えてくる〉

 そして、「学校」が洗脳の場所だという妄想を膨らましていくと、その「学校」が着用を義務づけている「制服」を着ている少女たちは、次のような存在になる。

〈彼女たちは、まるで、「私のことを洗脳して!」「私のことを、あなたの好きなように洗脳してもいいのよ!」と言っているように私には見えるのである〉
〈制服少女を見たときに、私が抱いてしまうところの、「ああ、私はこの少女を洗脳してもいいのだ。この少女の脳の中身を書き換え、私のことを本気で好きになるようにマインド・コントロールし、メイドのように従わせることが許されているのだ。そういう危ないことをしても、誰からも非難されないし、この少女本人がそれを望んでいるのだ」という自分勝手な妄想こそが、制服少女の清涼感とゾクゾク感の秘密だったのである〉

 たしかに制服が、支配=服従という関係を想起させるという説明はわかりやすい。そういう意味ではメイド萌えにも共通する部分があるかもしれない。

 しかし、森岡氏の分析はこれで終わりではない。「制服」に対しフェティシズムをもつ男たちの心をさらに紐解いていくと、その男自身がもつ深い「コンプレックス」に行き着くという。

 どういうことか。森岡氏は相手を「洗脳」するという行為の先にある、男たちの究極の願望について書いている。それは、少女の脳と自分の脳をそっくり入れ替えて、自分自身が少女の脳のなかに入り込むというものだ。

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