『エヴァンゲリオン化する社会』(常見陽平/日本経済新聞出版社)
ここ20年のうちに労働環境は過酷さを増している。やりがいをエサに低賃金・長時間労働を強要し、さんざん搾取しきったら人を使い捨てるブラック企業。さらにはブラックバイトなるものが若者を餌食に……。労働者は「人材」としてつねに市場価値をはかられ、熾烈な競争を強いられている。
じつは私たちが直面しているこうした問題を、1995年に放映されたアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』が予言していたとしたらどうだろうか?
〈ブラック企業の出現、非正規雇用の拡大、グローバル人材に対するニーズ、女性の活躍(という名の酷使)、働き方の多様化とその罠などはすべて、本作品の中で暗示されていた。(中略)労働社会は「エヴァンゲリオン化」したのだ〉
このように主張するのが『エヴァンゲリオン化する社会』(常見陽平/日本経済新聞出版社)だ。
では具体的に労働社会のエヴァンゲリオン化とはどういうことだろうか。そのひとつがいわゆるブラック企業の台頭とそれに対する労働者のスタンスだ。著者によれば主人公・碇シンジくんの「逃げちゃ駄目だ」というセリフこそが「職場や仕事から逃げられない時代、居場所が不安定な社会を物語っている」という。
なるほど碇シンジが所属するネルフを「職場」として捉えたときに「ブラック」という表現はまさにふさわしい。若者(というか中学生)に成功困難なミッションを与え、駒としてとことん使い潰す。上司は口では「嫌なら帰れ」と言うものの、世界を救えるのはお前だけと洗脳しているので実際には逃げられない構造。しかし、そんな劣悪な環境にたいしてシンジ君は「逃げちゃ駄目だ」と自らを励まし、しまいには「僕はここにいていいんだ」と自分の居場所は他にないかのように思いこんでしまうのだ。
〈彼は、エヴァに搭乗することについて何度も戸惑うが、結局、TV版でも最後まで逃げなかった。しかし、劣化する労働社会、若者を使い潰す労働者会から逃げないのが良いことなのか。そんな社会に「ここにいていいんだ」と思うことができるのか。激しく疑問を抱いてしまうのである〉
実際、若年層が減ってきた現実世界ではひとりひとりの若い労働者に課せられる負担と期待はますます重くなっている。そして大学進学率の上昇にともない、大卒であっても必ずしも就職できるわけではない時代。就職活動の激化と非正規雇用の増大。この状況に著者は綾波レイが言うところの「私が死んでも代わりはいるもの」の論理を見出す。