なぜ、原発ムラが事件ツブシに動いたのか。それはもちろん、高木氏の父親である孝一氏が、市議、県議時代に敦賀原発誘致の旗振り役を担い、市長時代は敦賀原発の2号機建設を推進した筋金入りの原発推進派だったからだ。
いや、たんなる推進派というレベルではない。1980年代はじめ、隣の石川県で志賀原発の建設計画がもちあがったとき、高木市長は志賀町に出向き、「原発のススメ」ともいえるような講演を行っているのだが、そこでこんな信じられない発言をしているのだ。
「(原発誘致で)その代わりに百年たって片輪が生まれてくるやら、五十年後に生まれた子供が全部、片輪になるやら、それはわかりませんよ。わかりませんけど、いまの段階ではおやりになったほうがよいのではなかろうか」
敦賀原発ではこの少し前に、コバルト60とマンガン54が漏洩するという重大事故が起こり、さらにそれを隠蔽するという「事故隠し」が大きな問題になっていた。そんな状況で「子供が片輪になっても」などと発言するのだから、その神経を疑うしかない。
しかも、高木市長のトンデモ発言はこれだけではなかった。このときの講演テープを入手し、一部始終を暴露した『日本の原発、どこで間違えたか』(内橋克人/朝日新聞出版)によると、高木市長はこんなことも語っている。
「原発をもってきさえすれば、あとはタナボタ式にいくらでもカネは落ちてくる。早い者勝ち!」
当時、原発誘致の是非を巡り揺れていたという志賀町で、高木市長はひたすらカネが入ってくるんだから、原発を誘致しろ、という下品な“原発のススメ”を語り続けたのだ。