『「靖国神社」問答』(小学館文庫)
今日から、靖国神社の秋の例大祭だが、予想通り、安倍首相は参拝を見送った上で、真榊を奉納した。メディアや識者の反応もいつもどおりで、右派からは「参拝できないのは中韓の内政干渉のせい」という反発の声があがり、リベラル派からはA級戦犯合祀問題や中韓への配慮がないというやや腰が引け気味の批判が聞こえてくる。
だが、そんな状況を〈心底ウンザリする〉と切り捨てるのは、気鋭の政治学者・白井聡だ。国際問題や政治的問題としてのみ語られている靖国論争を、白井はまず、〈「日本人にとって、日本の歴史において、靖国神社とは何であるのか」という問いを完全に欠いている〉として、こんな本質論を突きつける。
〈靖国神社に世界普遍的な大義が仮に存在するのであれば、どれほど強い非難があろうとも、私人であれ公人であれ、堂々と参拝すればよい。極端に言えば、世界中の人々がそれを非難し、「靖国を愛する日本人など皆殺しにしてしまえ」と思われ、実行されるとしても、本当に大義があるのであれば、実行するべきなのである。〉
そのうえで、白井はこう断じるのだ。
〈歴史的事実を冷静に追っていけば、靖国神社には世界的な普遍性を主張しうるような大義を見出すことはできない。〉
白井の靖国論が掲載されているのは、『「靖国神社」問答』(小学館文庫)。同書は少国民シリーズで知られる児童文学作家の山中恒が、膨大な資料から靖国神社とは何かを一問一答形式で丹念に検証した一冊だが、その文庫化に際した解説文で、白井は山中の靖国批判が「自虐史観」とはまったくちがうものであり、むしろ伝統的な視点から靖国の文化的・宗教的欺瞞を暴いたと評価。山中の検証によって、上記のように、歴史的大義がないこと、〈近代的な国家カルトの施設にすぎない〉ことが明らかになった、と結論づけているのだ。
たしかに、この『「靖国神社」問答』には、これまであまり指摘されることのなかった靖国神社の非歴史的な成り立ちが書かれている。