しかも、「生産効率の悪い人間は働かないほうがいい」というホリエモンの提唱するやり方は、たんに個人を傷つけるというだけではない。ホリエモンの主張とは逆に、社会にマイナスをもたらすものだ。
それは、女性の社会進出を考えれば明らかだろう。かつて多くの企業は女性は結婚や出産があるから生産効率が悪いと判断し、働く機会を奪ってきた。しかし、今はどうだろう。女性が働く機会を得たことで、明らかに新たな商品、新たなマーケットが生まれ、経済を牽引する存在になっている。
それと同じで、本当は環境や役割によって価値や能力を発揮したり、組織を活性化させる可能性があるのに、一方的な判断で働く機会を奪っては、社会にとって有用な人材をみすみす逃してしまうことになりかねない。
また、価値ある仕事をする者と、クズの烙印を押されて生活保護で生活する者に社会が二分化されれば、明らかにそこに階級と差別が生まれ、憎悪と対立が噴き出すだろう。これは、テロや犯罪の増加を引き起こし、社会を不安定化させる大きな要因になる。
言っておくが、世界とは、ホリエモンが考えているよりもはるかに複雑で不確実で、多様な可能性をはらんでいるものなのだ。個人の実存や感情も想像以上に大きな作用を社会にもたらす。
実際、社会学の分野でも、20世紀にタルコット・パーソンズが唱えていたような社会システム論は「個人が抱える実存の意味を無視している」「個人はどれだけ社会から影響を受けながらも完全に規定されることはありえない」「社会はスタティックなものでなく「不断の運動状態にある」と、とっくに否定されていたのではなかったか。
ホリエモンが言うような単純な図式に無理矢理であてはめても、なんの問題解決につながらないことは、ちょっと考えればわかることだろう。
そう考えると、ホリエモンのことを、「冷淡」「強者の論理」「新自由主義者」と批判するのは的外れで、実際はたんに頭が悪くて教養がないというだけなのかもしれない。世界の複雑さを受け入れられずに、ものごとを単純化しないと説明できない。そして、教養のなさをカバーするために、やたら「経済効率」だのなんだのというリバタリアン経営者的言葉をふりまく。