だが、雨宮のこの苦しみは、“AV業界”という、圧倒的に女性がマイノリティになる特殊な環境だから起こるものではなく、実は、社会に出て働く女性にとって普遍的な悩みであり、苦しみなのではないだろうか?
男社会のなか、どんなに努力しても、成果を出しても、評価のなかに“女性”という観点が入ってくる。それは、女性がいまの社会で働こうとする限り必ずついてまわる問題だ。
AV業界という特殊な社会のなかで、普通の女性よりも強く、その“社会で働く女性”としての悩みに直面した雨宮。そして、彼女はのたうち回るような苦しみに耐えた末、ゆっくりとその矛盾に対する答えを見つけていく。
〈いろんな出来事に揉まれてるうちに、自分の価値を他人の価値観に委ねてたら、これはもう、簡単に死ぬな、と思ったんですよね。〉
〈自分の価値を決めるのは自分自身で、決してそれを他人の手に委ねてはいけない。〉
〈自分自身を自分の手に取り戻す、というのは、他人の介入を許さない、ということではありませんでした。それは、どう見られてもいいや、と解き放っていくことでもあるし、どう見られてもいいやと思うためには、意志や安心感が必要でもありました。〉
彼女が苦悩の末に見つけ出したのは、「自分の価値を決めるのは自分自身」という考えだった。
男であろうが、女であろうが、イケメンであろうが、美人であろうが、ブスであろうが、関係ない。“自分の価値”を決めるのは、他人ではなく“自分自身”――。この発想を見つけてから、雨宮は少しずつ楽になっていったという。
社会のシステムが男に都合の良いようにつくられている限り、抜本的に変わることは難しいかもしれない。しかし、自分の気持ちならゆっくりと変えることができる。「自分の価値を決めるのは自分自身」と心に刻むことで楽にもなれるし、自分に自信をもつこともできる。
みんながみんな、雨宮のような過激な生き方ができるわけではないが、しかし、そこには“男だから”“女だから”といった価値判断から私たちを自由にしてくれるヒントが詰まっている。そう考えると、“こじらせ女子”の人気を支えているのは、この社会で生きづらさを感じている人たちの救いを求める声なのかもしれない。
(新田 樹)
最終更新:2015.08.18 12:14