〈じゃあなんで、仕事にするほどAVに深入りしてしまったのか。
それはひとえに私が、「女をこじらせ」ていたから、と言えるでしょう。AVに興味を持ったとき、私は自分が「女である」ことに自信がなかったので、AVに出ている女の人たちがまぶしくてまぶしくてたまらなかった。「同じ女」でありながら、かたや世間の男たちに欲情されるアイコンのような存在であるAV女優。かたや処女で、ときたま男に間違われるような見た目の自分。そのへだたりは堪え難いほどつらいものでした〉
そんなにも自分に自信をもてなくなった理由、それは雨宮の青春時代にあった。中学・高校時代を、いわゆるスクールカーストの最底辺で過ごし、容姿のコンプレックスに押しつぶされそうな彼女は、イケているクラスメイトのように“モテ”を追求することができなかった。
“自分はかわいくない”“女として価値がない”、その確信が興味関心を“サブカル”に向かわせることになる。岡崎京子を読みあさり、雑誌「CUTiE」(宝島社)を読みふけり、団鬼六でリビドーを昂ぶらせ、ますます“モテ”からは遠ざかっていく。そんな毎日が彼女の青春であった。
そして、そんな日々のなか培われた思いは、福岡から単身上京した後、“田舎者”という劣等感が加わることで、ますます“こじれて”いく。
〈「男にモテたい」なんて、思う余裕もなかった。それ以前に服すら似合わない。オシャレにすらなれない。恋愛や男のことなんて、そういうことをクリアしたあとで考える、雲の上の出来事に思えました。
一日8回オナニーしては、虚しさに泣きました。自分はこのまま誰にも触られずに死んでいくんだと思うと、悲しかった。けど勇気を出すことなんてできなかった。自分には恋愛とか、そういうことは許されていない。そういうことを話題にすることすら気持ち悪い人間なんだと思っていました。そんなに性欲が強かったのに、セックスするなんて考えられなかった〉
そんな鬱屈とした日々を過ごしていたある日、彼女の人生に転機を与えてくれる存在が現れる。
平野勝之監督の『わくわく不倫講座』、そして、カンパニー松尾監督の『私を女優にしてください』。一般的なAVとは一味違う、生々しくむきだしの“性”を描いた、今でも語り継がれるアダルトビデオの名作たちである。