〈「黒人」でありながら、早く走ることができない人びとは、アメリカにも、世界諸国にも無数にいる。もちろん音楽の才能やリズム感に恵まれない人びとも無数にいる。単純なこの事実一つからも、「黒人であること」と「運動あるいは音楽に優れている」ことの間に因果を見るのは無理である〉(同書より)
ひるがえって、日本のスポーツメディアで日常的に用いられる“アフリカ系だから身体能力が高い”という表現もまた、この米国由来のステレオタイプに丸乗りしたものであることは明白だ。科学的に大雑把な「黒人」という区分の身体的優位性が証明されていないのに、差別を助長する偏見を振りまくことは、やはり容認できるものではない。
だが、日本には、こうした人種差別表現を人々が無意識に受け入れてしまう素地がある。欧米諸国に比べアフリカ系の人口比率が低いがゆえの物珍しさに加え、一部の極右政治家や保守派が「日本は単一民族国家である」という事実に反した認識を喧伝しているからだ。
この状況を踏まえると、メディアも受け手側も、より一層注意深くこうした表現の危うさに意識を向ける必要がある。
(小杉みすず)
最終更新:2015.08.16 10:19