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東山紀之、反ヘイト本文庫化であらためて語る差別と暴力「人は人を差別するときの顔が最も醜い」「人間は、決して無駄に闘ってはならない」

 東山にとって4年前の東日本大震災は直接体験したわけではないが、それでも「やはり大きい」ものだった。そして普通の生活がいかに大切かを痛感したという。

「いまは、芸能人というよりも、まず人として、人の親として生きていきたい、と思う」

 この間、東山は結婚し2児をもうけているが、そのことは東山個人にとっても大きな変化だったのだろう。東山は自らの子ども時代をこのように振り返っている。

「僕は、かなり臆病な子どもだったと思う。幼い頃から恐怖に対しては敏感だった」

 そして、臆病ゆえに“死”や“暴力”そして“他者”に対して想像した。

「人は死んだらどうなるのかとか、もし自分が人を傷つけてしまったら、相手や相手の家族はどうなるかなど、想像しては、子ども心に、こう思ったものだ。
 痛いのも苦しいのも、絶対いやだ、と」

 これは、たとえば本サイトでも紹介した蛭子能収とも共通するものだが、自分がリアクションすることで降り掛かる不条理な恐怖、暴力は避けたいという人間の本質的思いから、東山はこう決意したという。

「いざとなれば、逃げよう、と」
「卑怯なのではない、誰も傷つけたくないための手段として、逃げるのだ」
「人間は、決して無駄に闘ってはならない」

 ここに東山の“強さ”がある。自分が傷つけられそうになったら、他人を傷つけそうになったら、高いプライドをもって勇ましく戦うのではなく“逃げる”ことを選択できる。自らを“臆病”だと吐露できる。それが東山の強さの本質なのだろう。それは7年前からボクシングのトレーニングを続けたことでも、再認識されていく。

「ボクシングでも、いかに相手の攻撃から逃げるかが、勝敗を決めるきわめて大切なことでもあり、そのための術を習得しなければならない。
 僕のトレーナーは、闘うこと以上に、相手も自分も傷つけないために逃げることに大切さを説く」
 

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