〈教師の中には出征していた者もいた。
小学校三年生のとき、クラスの担任となった男も従軍経験者だった。その教師は光雄を目の敵にした。
「差別意識が凄かった。ぼくともう一人を毎日殴る。二人とも在日なんです」
悪戯をした、あるいは給食費を持ってくるのが遅れたという理由だった。
――朝鮮人!
――朝鮮人の子どもは殴られても痛くないんだよなぁ。
教師はそう言いながら、平手打ちした。
「どういう具合に耐えるか分かりますか? 周りの子どもが、また叩かれてるって笑うんです。笑われるとぼくはすごく恥ずかしかった。でも、屈辱で睨むなんてことはしない。恥ずかしいから笑ってやろうと思った。ぼくが叩かれて、にやって笑うとその先生は余計に殴る」〉
生徒同士のイジメどころか、担任の先生が率先してイジメに加担していたというのだから驚くほかない。当時の差別意識の強さを物語るエピソードだ。そして、残念ながら彼に対するイジメは止むことなくその先も続いていく。
〈「小学四、五年生になるとちょっと元気がいいからトラブっちゃうと、やっぱりお前は朝鮮人だからとか言われる。そういう言葉を言われると、軀から力が抜けていくのが分かった」
朝鮮人という言葉を聞くと、魔法にかかったかのように自分が小さくなっていく気がしたという〉
なんの罪もない子どもにここまでむごい考えを持たせてしまうとは……。しかし、小学校時代はいわれのない差別意識に苦しんだ長州力であったが、中学にあがると一変。当時の同級生が〈強いとかそういうレベルじゃない。誰も喧嘩しようと思わない。中学のとき歯向かったのが一人いたけどね。十メートルぐらいピーンッて飛んでいったよ〉と述懐するほどの男に成長する。
その強さは、中学から始めた柔道のおかげで高校のレスリング部に勧誘され、特待生として授業料免除で入学を許されるほどだった。
レスリングでも順調に頭角を現し、出自をめぐるイジメから抜け出せたかのように見えた長州力だったが、今度は“国籍”の問題が彼のアスリートとしてのキャリアを阻む。
当時、国体に出場するには日本国籍が必要だった。しかし、その直前に行なわれたインターハイで惜しくも準優勝だった彼に“日本一”の称号を与えてやりたいと考えた、当時レスリング部監督の江本孝允は長州力の長兄に彼の帰化を提案。だが、帰化はできずに終わる。そこには難しい在日朝鮮人社会の事情が横たわっていた。