〈(検事長の)黒い噂は、目端の利く地検担当の記者なら誰でも一つや二つ知ってますよ。ただ、ご存じの通り、立場上書けないだけ。もし虎の尾を踏んで今後、特捜部のネタが取れなくなったら致命傷ですからね〉
知っていても書かない、という驚くべき宣言なのだ。“正義の味方”の検察から出入り禁止を食らって、事件ネタが書けなくなると、記者自身の社内評価や出世にも影響するのだろう。そんな個人的な事情を優先させ、書かない・書けない、とあからさまに宣言するのだったら、マスコミは「国民の知る権利を代行しています」みたいな言い分をさっさと下ろすべきではないか。
村串氏の著書にも、この検事長スキャンダルに関するくだりは、わずか10行程度ながら登場する。こんな内容だ。
〈休刊になった「噂の真相」は東京高検検事長のスキャンダルを炙り出し、辞任に追い込んだ。雑誌はストリートジャーナルを自認している。週刊誌記者の粘り腰は見上げたものだ。新聞が書かない、あるいは書けないネタを堂々と張る〉
「噂の真相」を持ち上げているが、問題は「新聞が書かない、書けない」記事とは何か、ということだ。書かない・書けない記事は、すなわち世に出ていないのだから、読者は何が起きたか・起きていないかすら、知るすべがないがないのである。
だが、事は何も村串氏個人、検察担当記者に限った話ではない。酒やゴルフ、ときには金品や女も介在しながら、マスコミと権力は密接なインナー・サークルを築いてきた。古いところでは、田中角栄首相が番記者に現金を配っていたことを後に明らかになったこともある。こうした癒着構造は一時、下火になったが、第2次安倍政権になって再びあからさまになった。
首相自らがマスコミ幹部と会食を頻繁に繰り返し、安倍首相、今井尚哉首相秘書官、そして、菅義偉官房長官らが読売、産経などの特定記者と裏でつながって、謀略情報をリークしているのは有名な話だ。
そして、これにならうように、一部の省庁では自分たちのいうことをきく特定の社だけを重用する傾向が強まり、新聞・テレビの側も情報源の官僚に気に入られようと取り入り合戦がさらにエスカレートしているという。
安倍政権と対峙するために、マスコミはまずこのグロテスクな癒着を断ち切るべきではないのか。
(南村 延)
最終更新:2018.10.05 05:18