自由民主党 森喜朗公式ウェブサイトより
「お詫びをすることはまったくないと。変更は当然あるべきだと」
7月29日にクアラルンプールで行われたIOC理事会に出席した東京五輪組織委員会会長の森喜朗は、国立競技場見直しについてIOCのバッハ会長から理解を得たことを、さも当然であるかのように胸を張ってこう話した。
いったいこの男はこの間、自分が何をしてどういう事態を招いたかがわかっているのだろうか。もう一度、念を押しておくが、新国立競技場問題の最大の戦犯は五輪組織委員長である森喜朗だ。
オリンピックではなく、その前年に予定されているラグビーW杯の為に国立競技場建て替えを画策し、当時の石原慎太郎都知事と密約をかわし、競技場の事業主JSCや組織委員会の人事に介入し、五輪のメイン会場に国立競技場を押し込んだ。そして、安藤忠雄とともにザハ案をごり押しし、高騰する建設費にも変更を拒否し、自分の利権を守ろうとした結果、起きたのがこの事態だった。
ところが、世間から批判を受けるや「私も迷惑している」と一転、被害者面。自分がさんざん固執したザハ案についても「僕はもともとあのスタイルは嫌でしたからね」「(キールアーチは)生牡蠣をどろっと垂れたみたいで、おやっと思った」と批難を始める。そうかと思うと、白紙撤回には大いに不満らしく、「国がたった2500億円も出せなかったのかね」などと平気で嘯く。
そして、白紙撤回が正式に決まると、いつのまにか、冒頭のように、自分の手柄のような態度で、白紙撤回に胸を張り始めたのだ。
まったくため息しか出ないが、しかし、今回の森の言動を見て、“あの頃”を思い出した人も多いのではないか。そう、この人のこうした無責任、無反省は最近になって始まったものではない。特に森が2000年4月からの総理就任期間前後に明らかになった不祥事や呆れるほど無責任な失言、放言、お騒がせの数々は、歴代総理のなかでも群を抜いたものだった。