しかしだからといって、自衛隊がたんに身代わりになった犠牲者かというと、そうではない。厚木基地爆音訴訟はもともと、1973年から始まっているのだが、日本政府は当初、満足な救済策も実施せず高圧的な対応に終始してきた。
たとえば、70年代末には国は「騒音源の航空機は国防に不可欠の公共性の高いものであるから、他の種類の騒音より多少大きくとも耐え忍ぶべきだ」(朝日新聞1978年1月18日夕刊)などと、今ならネトウヨしかいわないようなことを主張していた。
今回の判決は、日本政府がこうした不誠実な姿勢で米軍基地問題を放置して、住民の不信感を増大させてきたツケが回ってきたものといえる。政府は今、自分たちが沖縄でやっていることも、必ずや将来、同様の事態を巻き起こすと肝に銘じるべきである。
(野尻民夫)
最終更新:2015.07.30 10:27