これは体罰に関してだけでなく全般的な傾向で、また教員は他者から指摘されることをひどく嫌うという傾向も高いからだ。こうした恐るべき教師が量産される理由を、本書ではこう指摘している。
「教育者としての哲学や基本を持ち合わせていなくとも、教員免許は容易に取得でき、教員採用試験は定期テストの要領で擦り抜けられる――これが日本の教員養成システムである」
「特に採用試験における合格率が低い都道府県や市町村では、ペーパーテストの結果と出身大学、そして何らかの縁故が合否を分けていっていると言ってよい。真に教師向きの人材を採用できていると考える業界関係者は、皆無ではなかろうか」
こうして適性のない人間が教師になり、十分な研修や先輩教師の助言も少なく、残念な教員が量産されるという。それは著者によれば「人間の皮をかぶったモンスターが、人間の子どもを騙して飯をくっている」ほどだと容赦なく批判するのだ。
それではいったい、こうした状況を改善し、著者がいう“教師として持つべきプロフェッショナル意識”とはどのようなものなのか。本書ではプロ教師になるためどうすればいいか、ということも書かれている。
「まずは、自己認識である。『自分はなぜ教師になったのか』『どのような生徒に育てたいのか』『生徒に将来、どのような社会人になってほしいのか』『どのような授業が理想なのか』『これらを達成するためにはどのような技術・知識が必要なのか』といった自問をし続けなければならない」
教師としての確固たる自覚。その上で、教師の技術、成長についての様々な具体案が示される。
例えばグループ活動。生徒を臓器移植コーディネーターに設定し、5人の患者の誰を選ぶか考えさせる。患者は総理大臣、高齢者、学生、暴力団など。また、原発再稼働について全国紙5紙と地方紙1紙を読み比べさせ、ディスカッションするという授業も行った。その成果と、そのための持つべき基礎知識についてはこうだ。
「自慢に聞こえたら申し訳ないが、この実践を可能にしたのは、大量の読書と取材に支えられた私の知識量に他ならない。私は最低でも年間300冊の書籍を読むし、他に様々な分野の最新論文や雑誌記事にも目を通す。加えて、毎日4〜8紙の新聞を読んで教壇に立っている。そうしないと怖くてしかたがない」