実は、猟奇的な犯罪事件では、容疑者が逮捕され、公判に入ってもその犯行動機や犯行時の心理状態、生育歴との関係などが解明されないまま終わるということが多い。取調べやマスコミ報道、裁判では別のストーリーを仕立てられていたというケースもある。そういった状況で、加害者の手記が出版されることは、隠された事件の真相をあぶりだし、新たな犯罪分析と研究に寄与する可能性がある。
今回の『絶歌』はまさにそういうケースの典型だろう。神戸連続児童殺傷事件をめぐっては、膨大な量のメディア報道がなされ、関連本も多数出版されている。この事件をきっかけに、少年法は厳罰化され、またその後、少年による凶悪事件が起きるたびに、酒鬼薔薇事件の影響や比較がなされてきた。
しかし、『絶歌』では、その前提となった犯行動機が完全にくつがえされている。あらゆる報道で、少年Aが「誰でもよかった」「人間を壊してみたい」と語ったとされ、無差別の快楽殺人が動機とされてきたが、Aは同書で、自らの殺人の背景に性衝動があるとしたうえで、さらに、淳君には特別な感情をもっていたと告白しているのだ。
「僕は、淳君が怖かった。淳君が美しければ美しいほど、純潔であればあるほど、それとは正反対な自分自身の醜さ汚らわしさを、合わせ鏡のように見せつけられている気がした(略)僕は、淳君に映る自分を殺したかった」
いや、くつがえされているのは直接の犯行動機だけではない。これまでの報道や専門家の分析では、Aの歪んだ心理の背景には母親の厳しいしつけがあり、そのために、屈折や反発をおぼえてきたとされていた。
「母親との関係に問題があった」「母親の愛情に飢えていた」「母親に責任がある」「母親が厳しくし過ぎたために、Aは母親を怖がっていた」
また、母親自身も、事件の少し後に出版した手記『「少年A」この子を生んで……』(「少年A」の父母/文藝春秋)でこれを認めるような記述をしている。
だが、『絶歌』には、こうした分析と矛盾する生育歴、母親との幼少時のエピソードがいくつも綴られている。
「(玄関の)鍵はいつも開いていた。靴を脱ぐとキッチンから『おかえりぃ』 と母親の声がする。その一言で、ついさっきまでの恐怖感が嘘みたいに消えた」
「自分の隣で声をたてて笑う母親の笑顔が見たかっただけだ。僕のこの世でいちばん好きだったものは母親の笑顔だった」