だが、こうした女同士の争いが勃発するのは、テレビ局が“男性社会”であるためだ。たとえば、仲の良さを強調するために男性社員は女子アナを「おまえ」呼ばわりし、男性プロデューサーは番組に抜擢した女子アナを「客をつけてやった」などと言う。著者の小島は、そんな男性たちを「ただの女衒だ」と表現する。
〈女子アナをちやほやしている男たちは、皆私たちを売女だと思っている。出たがり女の欲望につけ込んで、ちっぽけな支配欲を満たそうとする臆病者どもだ〉
〈いくら口では優秀な女性がいいとか言っていても、男は所詮、女は男の手中 に収まる程度に賢ければいいと思っているのだ。そうである限りは引き上げて もらえるが、自分よりも優秀だとわかると、男は総掛かりで女を引き摺り下ろしにかかる〉
これは、きっと小島自身の経験が反映されているのだろう。事実、以前パーソナリティを務めていた『小島慶子 キラキラ』(TBSラジオ)にマツコ・デラックスがゲスト出演した際、「基本的にオヤジとかから嫌われるタイプじゃない、あなた」とマツコに問われ、小島はこう答えていた。
「わたしねえ、15年、局アナやってねえ、ほんとうに適性に限界を感じて辞めたのは、正にそれなのよね。男性優位社会のなかで得をするのが女性アナウンサーだから」
こう告白したあと、マツコから「女が男権社会で生きていこうって思ったら、ホステス紛いのふりをできる女じゃないと生き残っていけないのよ」と言われると、小島は「ものすごく共感する」と相づちを打っていた。ホステス紛いのふり、この言葉を小島は本作のなかで“コスプレ”に互換し、女子アナを辞めた滝野ルイにこう語らせている。
「女性アナウンサーって、すごくコスプレっぽいと思うんです。年収も高いですし、言ってみれば究極の勝ち組女子コスプレではないかと」
そして、「女子アナコスプレ」が自然とできてしまう女子とは“見られる女”であることにずっとむかしから自覚的であり、かつ、それを“満たされている人には必要ない作業”と述べる。
「テレビみたいないろんなことを言われる場所にわざわざ出て行くなんて、ほんとに幸せな女の子なら、そんなことしないですよ。そういう意味では、女子アナって自分と折り合いがつかない人たちの集団なのかなって気もします。同病相憐れむというか」
男性によって“見られる”=認められる性であること、そのことで自分が承認されたような気になり、もっと多くの人に認められたいと願う。さらに女子アナとなれば、それなりの学歴も要求される。たしかに女子アナとは、男性に欲望されるという色と、学歴という才、そして高年収をも手に入れる“究極の勝ち組女子”なのかもしれない。