DVD『TOKYO FANTASY SEKAI NO OWARI』(東宝)
先日、本サイトに掲載した記事「ランドセルに死ね…セカオワSaoriがいじめ体験を告白。Fukaseが救ってくれた」(リンク)には、大きな反響が寄せられた。人気バンド・SEKAI NO OWARIのインタビュー集『SEKAI NO OWARI 世界の終わり』(ロッキング・オン)で、ピアノ担当のSaoriがいじめられていた過去を振り返り、そんなときにボーカルのFukaseに励まされてきた……そんなセカオワ誕生のバックストーリーをお伝えしたものだ。
だが、このなかで引っかかったのは、FukaseがSaoriに語ったという言葉だ。
「おまえ、それはいじめられるよ」「いじめられる側にも原因があると思う」
これは典型的ないじめの加害者がよく言う常套句そのものだが、問題は、Fukase自身もいじめられた経験がある、ということ。ファンのあいだでは、SaoriだけでなくFukaseも中学時代にひどいいじめに遭い、それが元でひきこもり生活を送っていた……といわれているからだ。
いじめられた経験があるのに、いじめの原因をいじめられる側にもある、と言うFukase。じつはFukaseのこのようなねじれた感情は、セカオワの歌詞にも顕著だ。
たとえば、2010年に発売されたシングル「天使と悪魔」(アルバム『ENTERTAINMENT』収録)は、《「いじめは正義だから 悪をこらしめているんだぞ」/そんな風に子供に教えたのは 僕らなんだよ》という言葉から始まる。正義という旗を振って悪を滅ぼそうという、そのような言説に対して、答えは2つあるはずだ、どちらが正しくてどちらが悪いなんて解らない、とFukaseは綴る。そして、《戦うべき「悪」は自分の中にいるんだと/「世界」のせいにしちゃダメだと僕はそう思ったんだ》と述べるのだ。
この「天使と悪魔」を発表した際のインタビューで、Fukaseはこう答えている。
「昔からいろいろな人が争っているのを見るたびに、“なぜ、そんなに「自分が正しい」と主張することに向こうみずになるんだろう”とすごく思っていたんです」
「いじめが社会問題になっている時代の子どもたちに対して思ったことを日記のように書いて、それを曲にした、という感じです」(エンタメ情報サイト「ORICON STYLE」インタビューより)
自分だけが正義ではない──その言葉には、独りよがりでは“答え”は生まれないという、いじめられていたSaoriに語ったことと同じ論理が展開されている。これこそが、いじめられていたというFukase自身にとっても、経験から導き出されたいじめ問題の“答え”なのかもしれない。