また、初等科でのこんな騒動が報じられたことがある。2009年6月のことだ。以下は、初等科のある父兄の話だ。
「1年生のクラスで男子児童が後ろの席の女子児童にケガをさせてしまった。それもなんと、持っていた鉛筆で女の子の顔を傷つけて流血させてしまったのです」『週刊新潮』2010年3月18日号より
そして、皇室と学習院の関係に決定打を与えたのが、愛子内親王の不登校問題だろう。
「学校関係者によると、(補足:愛子内親王のクラスの)隣組にはAくんを中心とする“悪童グループ”がいた。
彼らは教室で副カバンと呼ばれる黒いサブバッグや結んだなわとびを投げたり、大声をあげたり、廊下を物凄い勢いで走ったりするなどの行動が目立ったという」『週刊新潮』2010年3月18日号より
「愛子さまがお友達と廊下を歩いていたら、いきなり前から首を絞められそうになったそうです。あまりのショックに愛子さまは硬直されていたといいます」(同学年の母親)『週刊文春』2010年3月18日号より
この“いじめ”については事実関係がはっきりしない部分もあるが、愛子内親王はこれをきっかけに不登校となってしまう。
秋篠宮が悠仁親王の進学先として、学習院ではなく、お茶の水女子大学附属幼稚園・小学校を選択した背景には、こうした問題があるのは想像に難くない。さらに、秋篠宮は、愛子内親王に対する指導の甘さに疑問を抱いていたとの声もある。
「授業中に愛子さまがおしゃべりしていても、叱られるのは周りの子供だったこともあったそうです。
そういったことは紀子さまの耳にも伝わっていたようで、秋篠宮ご夫妻は“校風がまったく変わってしまった”なんて嘆かれていました」(秋篠宮関係者)『女性セブン』2014年10月2日号より
中等科に進学してからも、愛子内親王に対する特別扱いは続いており、一部の上級生たちが学習院に抗議したとも報じられている。
相次いだ不祥事、そして愛子内親王をめぐる問題と、教育の場としては問題ありと言わざるをえない現在の学習院。皇族が離れていくのも仕方ないことなのだろうか。
(田中ヒロナ)
最終更新:2017.12.23 06:53